浅草岳

2025/4/12(土)

「浅草岳」は素晴らしい山であると、人に吹聴して回っている割に、今までその頂を踏んだことはなかった。まあ、麓を歩き回ったりはしているので、「素晴らしい」という言葉を使う価値があるだけの山であることは、もちろん自分でもわかっているわけで、別に噓を言いふらしていたわけではない。しかしながら、その頂を踏まずして、その山の評価を人に言いふらすなど、ひどく不誠実なものだな、と恥ずかしいことながら自覚していたわけである。

しかし、どうせならテレマークスキーで浅草岳の頂を踏みたくて、時期を待っていた。今の僕には、厳冬期に豪雪吹き荒れるなか、猛烈なラッセルをいなして浅草岳の懐に飛び込む気概はない。なんせ今年の冬は、絶え間なく大陸からやってくる寒気がとんでもない量の豪雪を只見に降らせていた。六十里越の観測地点など積雪深が6mを超えようというほどであった。会津の長い冬をぼんやりと眺めながら時が過ぎるのを待ち、伊南川の柳の木の先っちょにほんのりと芽吹きの兆しが見えてきた頃、青空の日を狙って浅草岳に登ることにした。

只見駅前の駐車場で一夜を明かして、朝靄のかかる入叶津の集落へ向かう。日は昇っていたが、春眠暁を覚えずというわけか、集落は静けさと共に佇んでいた。おにぎりを頬張りながらスキーにスキンを貼り付けて、ザックを背負って八十里越への林道を歩き始める。

林道を行く

律儀にスノーシェッドを潜り、煩わしいスキーの脱ぎ履きにいちいち舌打ちなどしながら、小一時間で見繕っていた取り付きの沢に着いた。傾斜も落ち着いており歩きやすい。林道も静かではあったのだが、森に入ってしまうといっそう静かになる。すやすやと寝息を立てるブナの森をそろそろとスキーを引きずって歩いていく。彼女らにとっては日の出少し前といったところだろうか。あと少しすれば、春の暁が優しく彼女らを照らし、大きく伸びをするかのように芽吹きの季節がやってくる。

小三本沢の手前で沢に向かってシールで滑り込む。小三本沢は今年の豪雪で完全に埋まっている。苦労なく対岸に渡った。渡った先が沼の平だ。

雪で埋まった小三本沢

沼の平は素敵な場所だ。小三本沢の縁を通って遡行する安沢の出合へ向かうのが合理的だが、ブナの暖かみになんだか蕩けそうな気分になってしまい、浮かれ気分で沼のそばまで滑り降りた。沼の淵をペタペタ歩いて、端っこまで来て腰を下ろす。ここで小休止にしよう。プカプカ浮かぶキンクロハジロを眺めながら行動食をむさぼる。とにかく素敵な場所なのだ。

沼の平で蕩ける
小休止とした

さて、先を進む。雪で埋まった安沢を登っていく。右岸には今にも撃ってきそうな大砲のような、ブロック雪がゴロゴロしている。怖いので、気休めだができるだけ左岸側に寄って登る。幸い大砲が自分めがけて飛んでくるようなことはなく、良い感じの尾根を見繕って取り付いた。

安沢

尾根に上がってしまえば、あとは山頂までダラダラと標高を上げるだけで、何も怖いものはない。じわじわと標高を上げ、尾根が広くなって山頂が見えてきたあたりで青空が覗いてきたので、ちょうどいいと思い休憩を取ることにした。

振り返って、谷の向こうは苧巻岳か
山頂が見えた

ブナの森はまだ続く。聞こえるのは、スキーのエッジが雪を噛む音、ブナの枝が風にざわめく音、そしてコガラのさえずりだけだ。やがて森林限界に出た。気付けば右手に守門岳が見えるようになった。早坂尾根の側面にくっついた、モリモリとした雪庇の形が面白い。八十里越を背負って進んでいく。振り返れば、だだっ広い尾根にたったひとつだけ伸びている、自分のトレースがなんとも気持ちいい。
目の前の嫋やかな三角形の頂点がだんだんと近づいて、乗っ越すと山頂はすぐだった。

ブナの森は続く
トレースを伸ばす
八十里越と守門岳

山頂からは大展望が広がる。鬼ヶ面山の岩壁が勇ましい。毛猛連山が聳え、その向こうには越後三山が白光りしている。田子倉ダムを隔てて丸山岳と会津朝日岳がのんびりと居座る。遠くに燧ヶ岳が霞んで見えた。穏やかな春の頂だ。

浅草岳山頂
田子倉ダムを見下ろす
鬼ヶ面山の岩壁

さて、入叶津へ戻るとしよう。山頂直下の大斜面はテレマークスキーの大好物だ。のんびりと板を滑らせて、テレマークターンを決める。ザラメを切り裂く感覚が気持ちいい。八十里越に向かって浮遊しているかのような、なんとも心地よい感覚だ。

行きで休憩したあたりで4人パーティーが休憩していた。リーダーらしき年配の男性と少し情報交換をして、再び安沢に向かって滑る。安沢を気持ちよく滑って、沼の平に上がる。ザックを放り投げ、枕にして寝っ転がって空を見上げた。ブナの森でひとり微睡む。春陽に蕩けながら溺れる時間は、何よりも至福である。

ブナと空を見上げる

おもむろに立ち上がり、再び歩き出す。相変わらず埋まっている小三本沢をもう一度渡って、夏道沿いに登っていく。山神の杉はもう雪が消えていた。

平石山とブナの森
山神の杉

何度かデブリを横断して、平石山スノーシェッドへの沢沿いを下る。平石山の斜面からのブロック雪は落ち切っているようで、ある程度安心して滑れる。叶津川に向かって、テレテレと板を走らせる。スノーシェッドの上に降り立つと、額から汗が流れ落ちた。

下りてきた

汗ばむ陽気の中、新しいデブリを越えたりしながら林道を戻っていると、先ほど出会ったパーティーに追いつかれた。話を聞くと、新潟からぐるりと遠回りしてきたようで、やはり只見側の浅草岳は素晴らしいのだろう。いずれ僕も、越後側からスキーで登ることがあるだろうが、「はじめての浅草岳の頂」は今日しかない。僕は南会津が好きなのだ。この山域に通い、この山域と生き、この山域と死にたい。儚い暮らしに寄り添い続ける、南会津の山々を愛しているのだ。だから、初めての浅草岳は、只見から登ってよかったと思っている。

かくして、ようやく僕は浅草岳の頂に立つことができたわけである。浅草岳は素晴らしい山である。これからは胸を張って言えよう。

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南会津 大嵐山 東尾根 ~マリア様の囁き~

2025/3/22(土) ~23(日)

雪と藪の中で藻掻きながらモンキークライムをしているとき、ビートルズの「Let It Be」がずっと脳内再生されていた。なるようになる、そう考えながら憂慮に囚われる心を鎮めていた。

さて、金曜日に有給休暇を入れ、春分の日から4連休を取得した僕は、2泊3日で小立岩から山毛欅沢山に登り、小手沢山と恵羅窪山を経由して城郭朝日山のピークを踏み、黒谷の集落ヘ下りる計画を組んでいた。良きラインを引いた、と鼻歌交じりで日々を過ごしていたのだが、実家に帰っていたゴックン氏(無職)から食中毒になったとの連絡が入った。相方曰く土日ならどうにかなりそう、とのことだったので、1泊2日の山に転進しよう、となった次第である。

さて、湯ノ花温泉の南東に位置する旧舘岩村の秀峰、大嵐山の東面を地理院地図で眺めると、まるで嵐のようなゲジゲジマークがあることがわかる。ゴックン氏(無職)が横浜の某登山用品店にいた頃、僕が買い物ついでに彼を訪ねていくと、おおよそ終業後に近くのガストで山談義に花を咲かせながら時間を潰すことになるのだが、その時に「大嵐山の東面が気になる」という会話を交わしたことを思い出した。登山大系2番にもチラリと記載がある。登山大系2番をバイブルとして嗜む者として、一度確かめるだけでもやってみたい、という思いがあった。そんなことを考えていると、大嵐山はどうか、とゴックン氏から提案があった。考えることは同じだったようだ。自分の雪稜の経験が如何せん足りないことはわかっていたが、ひとまず賛成の意を示して、人知れず気合いを入れた。

そんなこんなで大嵐山へ向かう。鱒沢林道の入口に駐車できそうなスペースがあったので、車を停めて歩き始める。歩き始めると、沢の中にカモシカが佇んでいて、微動だにせずジッとこちらを見つめていた。

目と目が合う瞬間

すっかり春の陽気となった林道を汗を滴らせながら歩いていると、長靴姿のおっちゃんが歩いてきた。おっちゃんはこの辺で狩猟を嗜んでいるようで、動物の足跡を見に来たらしい。おっちゃん曰く、大嵐山の東面は地元民には「キネンボウ」と呼ばれているようだ。勝手な推測だが、おそらく「鬼念坊」だろう。なお、鱒沢林道は4月の初めに開通するのだが、この雪の量をこれから除雪すると考えると、とても4月の初めに間に合うとは思えない。

オッチャンと別れて先に進み、5kmくらい林道を歩いたあたりで、見繕っていた尾根に取り付くべく鱒沢を渡渉する。だいぶ景色が春めいてきたように思えるが、雪解け水の川はとても冷たい。ゴックン氏は余裕そうに渡っていったように見えたが、「もう少し距離が長ければ叫んでた」らしい。

鱒沢の渡渉

尾根に取り付くと急登になる。樹林を縫って標高を上げていく。なお、落とし穴にハマったりした。

ハマった

持病の喘息を発症しそうになり、薬を飲んで、ゆっくりと標高を上げていく。1313mのポコに上がると、ベールに包まれた大嵐山の東面がついに姿を現した。僕からすればだいぶヤバそうに見えるのだが、ゴックン氏曰く「なるようになる」らしい。まったく意味不明なので、半分くらい聞き流しておく。とりあえず、予定通りここでテントを張ることにした。峻険な大嵐山の山容を仰ぎ見る素晴らしい宿である。

大嵐山の東面が見えた
素晴らしいテン場

ゴックン氏は明日の偵察のために1430のポコまで行くというので、僕は喘息を鎮めるためにテントで昼寝することにした。喘息を患っていることは山を嗜む自分にとって致命的なデバフだと常日頃から考えている。どうしようもない持病なので、うまく付き合っていくほかない。

ゴックン氏が戻ってきて一息ついたら夕食を作る。今回はカレーうどんにした。シャウエッセンを入れたら最高に美味かった。富山出身のゴックン氏はヒガシマルのCMを知らなかったのだが、あれは東日本限定なのだろうか。

日本ハムに感謝

夕食後はお茶を飲み、少し微睡んでから眠りにつく。夜中は囂々と唸る風の音で何度か目が覚めた。

翌朝は4時に起床。風が強い予報だったので、一応様子を見ることを言い訳にして、30分遅れの6時半に出発した。1440のポコまでは樹林帯の急登をひたすら登る。1440のポコに出ると、峻険な大嵐山の東面が悠然と目の前に現れた。迫力のある佇まいに思わず息を吞む。ビビりの僕は少し心配になるが、ゴックン氏は「なるようになる」と言う。かく言う僕も、ここまで来て帰る選択肢はない。目の前の地形にただ向き合うのみである。

迫力ある大嵐山の東面

痩せたリッジをトラバース気味に通過するパートから幕を開ける。今思えば、このリッジにクライムダウンする一歩目が最もビビった瞬間だったように思う。何事も一歩目が肝心なのだ。まあ、時には踏み出して取り返しのつかないことになるようなこともあるかもしれないが。

リッジを通過した後、直登は難儀しそうな岩峰をトラバースして、樹林帯の斜面を攀じ登ったところでビレイステーションを作る。

【1P目】雪の斜面を登って藪と岩のミックス斜面に取り付き、藪を繋いで攀じ登っていく。ルンゼ状をモンキークライムでなんとか突破すると、目の前に雪壁が現れる。スノーバーと木で支点構築して終了。

【2P目】下から見て、第一の核心として懸念していた雪壁。しかしながら、テン場から見上げていた時ほど絶望感はない。ゴックン氏のリードで着実にステップを刻んでいき、あれよあれよという間に突破してしまった。「なるようになる」かもしれない、希望が見えてきた。

雪壁

【3P目】一応ロープを出したピッチ。小さな雪原を進み、緩い雪壁を登って終わり。

【4P目】核心ピッチと思われる。スラブ状の雪壁からモンキークライム。リードのゴックン氏は右往左往していたが左から取り付き、随分と時間をかけて除雪してるな、と思ったらトンネルを掘っていたようだ。突っ張りで登ると、丁度良い感じに山頂へ続くスカイラインの基部に出た。

トンネルを抜ける

【5,6P目】一応ロープを出す。気持ちの良いスカイラインを進み、雪庇を潜って上に抜けて終了。

気持ちの良いスカイラインを進む

最後は歩いて大嵐山の山頂に立つ。なんと、登れてしまったようだ。だいぶ相方頼りの山行だったが、彼のように力があれば大抵のことは「なるようになる」のだと、そう思った。山は面白い。パンフレット的なアルプスの稜線歩きも勿論楽しいが、不確定要素の強い自然に対し、自らの能力を尽くして突破していくことが、山を楽しむということなのだと、そう考えた。そのためには自らの能力を上げなければならない。普段からコタツでふて寝しながらアニメをダラダラ観ている場合ではないのだ。

山頂

雪の様子を見て、帰りは登山道沿いの沢を下る。次は夏にのんびりハイキングに来るとしよう。

湯ノ花温泉から林道を5km歩いて、車を回収する。湯ノ花温泉で一息ついて、車に乗り込むと相方からのBGMのリクエストはビートルズだったので、とりあえず「Let It Be」を流した。なるようになるのである。さて、家に帰ってコタツでカップヌードルでも食べながら、ダラダラとアニメでも観ようじゃないか。

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南会津 大博多山

2025/3/8(土)

白い絵の具をべっとりと塗りたくったかのような大博多山に登ってきた。

旧南郷村を静かに見守るように佇む大博多山は、ブナに覆われた静かな山だ。雪が降る時期は南郷スキー場を拠点に動き回る僕にとっては、ゲレンデからひときわ目立つその姿に自ずと親しみを覚えていた。

昨秋、大博多山の懐に入って横向沢沿いの穏やかな森を散策し、その穏やかな雰囲気に浸る機会があったものの、その頂を踏むには至らなかった。今回、自宅に居候中の「ラッセルモンスター」ことゴックン氏(無職)をお供に、その頂に登ることにした。

秋のでえはたやま

ちなみに、地元の人々はこの山を親しみを込めて「でえはたやま」と呼んでいるらしい。

大博多山の東から突き上げる滑沢沿いに標高を上げ、適当な場所で尾根に乗り上げる算段だが、この山域の里山を冬に登ろうとすると、どうしても駐車という問題が生じる。我々はきらら289の道の駅に車を停め、滑沢にかかる橋まで約2kmの行程を歩くことにした。滑沢の橋へ向かう車道の脇の除雪された雪壁が例年より高く、今年の雪の豊富さを感じさせる。

橋から少し入ったところでワカンを装着し、滑沢沿いの林道を進んでいく。沈んでも脛程度で、なかなか軽快だ。高曇りで雪も腐らずすこぶる快適である。

林道を行く

716の尾根の末端の二俣を左に入ると林道の痕跡は消える。スノーブリッジを渡ったりしながら、沢沿いをサクサク音を立てて進んでいく。

滝が出ている
沢底を行く

適当なところから尾根に這い上がることにした。なかなかの急登で骨が折れそうだが、ここはゴックン氏が道を切り開いてくれた。豪快な雰囲気で雪を掻き分けながらも丁寧にステップを刻む、流石は「ラッセルモンスター」の職人技だ。僕はトレースを辿って、後ろも振り返らずただ黙々と登る。いつの間にか高曇りの雲は取れて、辺りの雪面はまろやかなクリーム色に反射していた。尾根に乗り上げると、ゴックン氏がのんびりとザックに腰掛けていた。

斜面に取り付く
尾根に上がった

いつの間にかだいぶ標高を上げたようで、南会津の山々の眺めがいい。やっぱり今年は雪が多い。雪が多いのだが、目の前の景色が雪に覆われているというのに、身体の周りを流れる空気の感覚や、一歩踏み出す時に感じる足元の雪の感覚から、ほんのりと春の香りがするから、季節というのは不思議なものだ。志津倉山と博士山を背負い、標高を上げていく。

尾根を行く

山頂から南東方向にあるポコに出ると、気温が低かったのか、それとも風の流れの関係か、いきなり樹氷の森になった。空はいつの間にか高曇りに戻っていて、薄い雲の向こうの太陽がほんのりと木々を照らして、シャイな子どものようにブナの木々が煌めきを放っている。シャイなトンネルを抜けると、今度はイカつい雪庇が悠然と現れた。力士の胸板みたいだ。しかし、これを越えれば頂上である。

シャイな樹氷
頂上雪庇

しかし悪知恵の働く僕たちは、力士と対峙して堂々と張り手を食らわせたりはしない。雪庇の下を左にトラバースし、雪庇の弱点にハッタリをかますようなトレースの先に、相棒が首を伸ばして待っていた。「君は雪庇を見て頂上行かなくていいとか言い出しそうだから、選択肢のない場所まで来たよ」とゴックン氏は言う。失礼な、今日の僕はそこそこやる気があるのだ。

雪庇を越えにかかる

雪庇を越えると頂上はすぐだった。思えばゴックン氏にだいぶ引っ張ってもらった。情けないが本当にありがたいことだ。とても静かで穏やかな山頂だ。西側は樹林に阻まれて会津朝日や浅草岳は木々の隙間から首を覗かせるだけだが、その他270度の展望は素晴らしく、御神楽岳から身体を反転させて窓明山まで、穏やかな南会津の山々が一望できる。

額を撫でる風がほんのり暖かい。春はまだ遠いようで、実はすぐそこまで来ているのだろうか。

頂上より
尾白山

あんドーナツを2,3個口に放り込み、暗くなる前に下山することとする。行きは良い良い帰りは怖いなんていうけれど、やっぱり下りはグイグイ下る。尾根をひた下り、行きによじ登った急斜面はシリセードで進むと一瞬だった。あとは滑沢沿いをただひたすらに下って、アスファルトに下りてきた。

踏みたいピークなんて人による。きっとこの頂は、世の登山者の99%には見向きもされないのだろうが、多分僕にとっては、他の99%のピークよりも、言い表せない価値がある。そこに流れる穏やかな時間に、ただのんびりと浸りたいのだ。

これからは僕も親しみを込めて、「でえはたやま」と呼ばせてもらおう。またここでのんびりと過ごしたい、そんな場所だった。

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南会津 王博士

2025/1/12(日)

木曜日にヤマテンの週末予報を眺めていると、どうやら脊梁山脈の向こう側では深々と雪が降り積もっているらしい。極寒のパウダースノーに今すぐ全裸で飛び込みたい気分だが、あろうことか風邪をひいてしまった。ちなみに半裸でコタツで気絶していたのが原因である。

土曜日になっても動ける感じではなかったので、明るくなる時間帯までお布団に篭り、お腹が空く時間に南郷スキー場に移動して、満腹になった後、のんびりとテレマークスキーに興じていた。ただ、日曜になっても山に行かない、そういう選択肢は僕の中にはなかった。しかしながら本調子ではないので、昨年3月に一度訪れたことのある、博士山の南にある1455mのピーク、通称「王博士」に再訪することにした。

博士トンネル手前の除雪スペースに邪魔にならないように車を停め、国道401号の旧道を歩いていく。道がつづら折りになるあたりで山に入る。1138mの辺りまで来ると辺りは素敵なブナの森になる。

1138mのあたり

1356mに上がる斜面は少し急で、ジグを切って登りきる。

標高を上げる

標高を上げていくとやがて樹氷の森に包まれる。この山のブナの森はなんだか暖かい。厳冬期の豪雪地帯の山の中だというのに、何故だか暖かみを感じるのだ。

頂上まであと少し

惰性で尾根を上がっていくと王博士の山頂に着いた。尾根の先に台形の博士山のピークが見えて、その肩の先に真っ白な飯豊連峰が見える。会津盆地も真っ白だ。のんびり景色を眺めていると、後続パーティーが登ってきた。「トレース助かりました」なんて久しぶりに言われて少しいい気になったが、テキトーに歩いてきたので少し申し訳ない。

博士山

しばしお茶を飲みながら休憩して、さっさと下山することとする。下りは早い。パウダーを巻き上げて気持ちよく滑り、あっという間に駐車スペースに着いた。国道に下りると、カラ類の群れがざわめいていた。

まだ家に帰るのには早い時間だったので、南郷スキー場で数本滑ってから、いつも通り木賊温泉に立ち寄り、売店で日本酒を買って帰宅した。なんだかんだ充実の週末だった。

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大井川西俣源流部を巡る 南アルプス 大井川西俣三伏沢~中俣~小西俣内無沢

2024/9/13(金)~2024/9/15(日)

僕は北アルプスより南アルプスのほうが好きだ。北アルプスの人を寄せ付けない陰険な老人のような尖った雰囲気と異なり、南アルプスは優しく僕を抱きとめてくれる嫋やかな女神のようだ。決して北アルプスが嫌いとか、そういうわけではない。あくまで個人的な印象である。
南アルプスといえば大井川である。大井川の源流は、荒れ狂う激流に姿を変えることはほとんどなく、南アルプスの中央部を、微笑みを携えてただゆったりと流れている。女神様に暖かな微笑みを投げかけてほしくて、南アルプスのど真ん中へ向かうことにした。

鳥倉のゲートに着くと、まだ金曜日の朝だというのにほぼ満車状態だった。今日は三連休前の平日だから、やはり皆長く山に入りたいのだろうか。最後の一個だったであろう駐車スペースに車をねじ込み、鳥倉登山口まで退屈なアスファルトを歩いていく。

出発

鳥倉登山口から三伏峠までの標高差700mくらいのトレイルを、身体中の血液を巡らせながらゆっくりと歩いていく。苔に覆われたシラビソのしっとりとした森が続く。なんとも南アルプスらしい雰囲気だ。シラビソの幹をちょこちょこと動き回りながらリスが木登りをしている。木漏れ日の登山道をコツコツと標高を上げていくと三伏峠に着いた。三伏峠小屋はどうやらカレーが有名らしく、「ラジオで聞いて食べに来たよ」という登山客の会話を聞き、帰りに立ち寄って食べられたらいいな、と楽観的に考える。前夜は大鹿村の駐車場でアスファルトに3-4時間寝そべった程度だったので、小屋の前で休憩していると強烈な眠気が襲ってきて、30分程度仮眠してから動き始めることにした。寝ぼけまなこを擦って半分くらい起きれば、さあ、微笑みの大井川へ出発である。

サラシナショウマ
シラビソの森

まずは三伏沢を下降して中俣との出合を目指す。三伏沢の源頭部は両岸にシラビソの森が連なる苔むした沢状地形で、霧に隠れた塩見岳の稜線も相まって水墨画のようだ。次第に沢形が広がり、伏流していた沢の流れが目に見えるようになり、足元が苔から礫に変わると次第に魚影も出てくる。中俣との中間あたりまで来ると塩見岳の稜線を覆っていたガスも晴れてきて、塩見岳の山頂部を見ながら軽快に標高を下げていく。

三伏沢の源頭部
塩見岳を見ながら下る

三伏峠から一時間半程度で中俣との出合に着いた。この出合でのんびり大休止を取った。ここから塩見沢の出合まではものの数分だ。塩見沢の出合から30分程度下った右岸に良い感じの幕営適地を見つけ、ここで幕を張ることにした。

塩見沢出合あたり
夜明け前のオリオン

目が覚めるとまだ日の出前で、段々と黎明の空に変わっていく。朝食を取り、6時過ぎに出発する。
軽快に進んでいくと、左岸側からとんでもない崩落地形と共に凄まじい量の岩石が中俣に流入し、沢を覆いつくしているではないか。ここが東池ノ沢の出合だ。塩見岳の写真を見ると、左肩にパックリと口を開けた大きな切り傷のようになっているのが東池ノ沢である。現在も凄まじい速度で隆起を続けているという南アルプスの大地の力をまざまざと感じることができる場所だ。

東池ノ沢

やがて伏流していた流れが出てきて、沢は両岸から流れ込む沢山の小さな支流を合わせて少しずつ大きくなっていく。北俣との出合に近付くと水量も増え、多少渡渉に気を使うことになる。北俣の出合を過ぎると一旦流れは落ち着いて、前方に人工物が見えてくると小西俣との出合は近い。

中俣を朝日が照らす
北俣出合

中俣と小西俣の出合には西俣堰堤という大きな堰堤がある。ここには昔、東海パルプ株式会社(現:特種東海製紙)の人々が住まう、林業のための集落があったのだという。我々はここでかつての杣人の暮らしに思いを馳せる…なんてことはせず、ザックを放り投げ、歩いてきた中俣の向こうにひょっこり顔を出した蝙蝠岳を見上げて、のんびりと昼寝をした。

お昼寝
蝙蝠岳が頭を覗かせている

いつまでも寝ていても仕方がない。昼寝もそこそこにして先を行くことにしよう。ここからは小西俣を登っていく。小西俣もまた静謐で穏やかな流れだ。悪沢岳の北尾根に詰め上げる西小石沢の出合を見送り、度々出てくる瀞に潜むイワナの魚影に感嘆の声を上げながら進んでいく。上岳沢出合と瀬戸沢出合のちょうど中間あたりにある滝の高巻きが核心部だろうか。まあ、雪国の泥壁と異なり、一歩一歩砂地に確実に足を踏みしめていけば容易に先に進めるので、大したことはない。瀬戸沢の出合は落ち着いた雰囲気になっていて、しばし水浴びなどをしながら休憩した。

穏やかな流れが続く
高巻き中
瀬戸沢出合

魚無沢を見送り、沢が内無沢と名前を変えたあたりで良さげな幕営適地を見繕い、今日の行程を打ち切った。夜中にタープをぼたぼたと叩く雨の音で目が覚めた。

今日の宿
焚き火は欠かせない

朝起きるとまだ雨が降っていた。幸い、沢は増水している様子はない。南アルプスは森林限界が高いので、山自体の保水能力も高いのだろう。土砂降りではないので、昨日と同じくらいの時間に出発することにした。今日は行程がそこそこ長いから、ダラダラしているわけにはいかないのだ。

岩にへばりつくハコネサンショウウオに朝の挨拶をしながら内無沢を進み、2050mの二俣を右に入って高山裏避難小屋を目指す。もう一方の沢には滝がかかっていた。

ハコネサンショウウオ
出合の向こうに滝がかかる

沢はだいぶ水量も減って源流部の雰囲気となり、緑に囲まれた小川のような沢を登って標高を上げていく。途中、沢の分岐を間違えたりもしたが問題なく進み、やがて水が少なくなって苔むした源頭部に辿り着く。高山裏避難小屋の水場を示すピンクテープが現れると登山道は近い。何てこともない整備された道ではあるが、水場から高山裏避難小屋に詰め上げる道が単純な急登で、もうすぐ小屋という安心感で気が緩んでいたのか、この山行で最もキツかった。

雰囲気が良いが分岐を間違えている
苔むした源頭部

高山裏避難小屋に上がると霧雨がしとしと降っていた。とうに管理人は引き上げているようで、避難小屋状態の小屋に入って行動食を食べる。後から避難小屋に入ってきたおじさんと会話を交わし、情報交換をした後、「若いもんは歩けるやろ!」と言われたが、それは人によると思われる。

小屋から出て再び歩き始めるとすぐに雨が上がり、青空が姿を覗かせた。整備された登山道の歩きやすさに感動しながら、まずは小河内岳を目指す。時折伊那側がスッパリ切れ落ちた崩壊地になると、決まって僕たちは後ろを振り返り、雄大な荒川三山と赤石岳の姿を仰ぎ見ることになる。赤石山脈の盟主、赤石岳を護衛するように堂々と聳え立つ荒川三山がなんとも勇ましい。その向こうに、この山域の王者の風格を漂わせて、赤石岳が静かに鎮座する。南アルプスの山の雄大さに息を吞む。

ウメバチソウ
ベニテングダケの幼菌
荒川三山と赤石岳

板屋岳を越えると小河内岳の姿が見えた。まだまだ遠く見えて億劫になるが、もう足元を無理やり回転させるしかない。大日影山を越え、小ピークを2つ越えて小河内岳の登りに取り付く。右手に富士山が姿を現す。そうか、ここは南アルプスだった。沢の中にいたから、富士山のことなんて頭の中からスッポリと抜け落ちていたようだ。そうやって拍子抜けしている間に山頂に着いた。小河内岳のピークは南アのちょうど中間あたりにあるため、北部の山も、南部の山も、ぐるりと眺望できる素晴らしい展望台だ。

小河内岳
小河内岳から富士山と悪沢岳を望む
塩見岳方面

先輩がザックの中に隠し持っていた焼豚で塩分を補給して先を行く。ここからはおおよそ下り基調だ…そう思っていたのだが、なんだかんだまだ小ピークを2つ越えなければならない。100mくらい標高を落として、ヒイヒイ言いながら前小河内岳のピークに登り、また150mくらい標高を落として、烏帽子岳のピークに登る。烏帽子岳のピークから見る塩見岳は素晴らしく、ここまでの道程が一望できる。

烏帽子岳から塩見岳を望む

ここからはもう下るのみだが、さすがに疲れてしまって、烏帽子岳からトボトボと力なく三伏峠に下りる。三伏峠小屋のランチタイムはとうに終わっていて、カレーにありつくことはできなかった。代わりに南アルプスの山々が描かれた暖簾を購入した。

三伏峠へ

三伏峠で出会ったトレラン装備のおじさんは、なんと鳥倉まで45分で駆け下るのだと言う。我々にはそんな芸当はできないので、マイペースに下っていくことにする。と言っても早く下りたい一心から、若干駆け足になったりもする。勢いのままに鳥倉まで駆け下って、林道の脇にザックを放り投げ、大の字になって曇り空を見上げた。あまり記憶にないが、どうやら2時間かからずに下ってきたようだ。

下りてきた

林道を無心で歩き、ゲートに着く頃には辺りはだいぶ暗くなっていた。時計を見ると18時過ぎ、久々の12時間行動だ。雨がパラついてきたので急いで荷物を車に押し込む。

帰りも長くて億劫だが、我々社会人は社会のしがらみから逃れられない。最後は女神様の暖かな微笑みを振り切って、日常に向かって再びアクセルを踏み込むのであった。

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飯豊連峰 杁差岳・門内岳

2024/7/13(土)-14(日)

「最果て」という言葉が好きだ。飯豊の「最果て」はどこだろう。それはやはり朳差岳なのだろう。朳差岳から北へ伸びる尾根で飯豊の主稜線は終わる。

6年前の初秋に、大学のワンダーフォーゲル部で飯豊連峰の主稜線の踏破に挑んだ。最終日の天候が悪く、地神山を越えたあたりで朳差岳を諦めることにして、飯豊山荘に下山した。その時、地神山から拝んだ朳差岳のピークは、小さな旅のゴールテープを切るのにふさわしい、RPGの最終到達地のような雰囲気を感じた。ただ、あの時エブリを眺めながら下山してしまったことがなんだかんだ心残りになっていて、右膝の抜釘手術を受ける前に訪れることにした。

深夜に奥胎内ヒュッテの駐車場へ向かい、車中泊した後、バスで足ノ松尾根の登山口まで運んでもらう。緑に覆われた静かな森を歩き始める。ブナが林立する平原状に道が続く。熊鈴の音がいくつか響く。意外と登山者は多いようだ。尾根に取り付くと、左手には飯豊の銘溪、足ノ松沢が深く飯豊の山を抉っている。

足ノ松沢

眠りが浅かったのか、登り始めは吐き気がして気分が悪かったが、足元を回転させているうちに次第に回復していった。柔らかな朝日が緑のブナの森を照らす。1100mあたりで一度休憩を取り、羊羹を頬張った。このあたりのブナ林はとても爽やかだ。

爽やかなブナ林

大石山に近付くにつれ段々と視界が開けるが、気温も段々高くなってくるので汗が流れる。足元の高山植物に目を向けたりしながら脚をひたすら動かしていくと、ちょっとした丘みたいな大石山のピークに出た。あの日、先に進むことができなかった飯豊の主稜線に立っている。なかなか感慨深い。

ヤマハハコ

大石山から仰ぎ見る朳差岳は壮観だ。雪に覆われた時期も素晴らしいだろうし、秋の時期もきっと素晴らしいだろう。まずはスキーを履いて訪れてみたい。まだ登ってすらいないのに、そんなことを考えた。

朳差岳が壮観だ

朳差岳まではアップダウンの連続だ。まずは鉾立峰とのコルまで150m程度下り、再び150m登り返して鉾立峰のピークへ上がる。そこからまた100m程度下って、朳差岳へ登っていく。朳差岳の直下はニッコウキスゲが今にも咲き乱れんとばかりに満開の時を待っていた。その隙間で風に吹かれるマツムシソウの薄紫に、盛夏の訪れを感じる。朳差岳の避難小屋の前でチェック柄の老人と言葉を交わすと、今年はニッコウキスゲが少ないとのことだった。

マツムシソウ

朳差岳の頂上はアキアカネが乱れ飛んでいた。振り返ると、登ってきた道はガスに巻かれている。目的地に着いたとたんガスが上がってくるなんて、やっぱり僕は雨男なのだなあと少しばかり落ち込みながら、羊羹を頬張ってアキアカネの行く先を見守る。

朳差岳に立つ
ガスった…

さて、長居していても仕方がない。来た道を戻って今日の幕営地である頼母木小屋を目指す。鉾立峰に戻ったころにはすっかりガスが晴れていた。よくあることだ。
大石山から先は緩やかな登りで歩きやすい。振り返れば朳差岳の穏やかな山容に癒される。朳差岳といえばハクサンイチゲの大群落が有名だが、もう旬はとっくに過ぎたというのに、登山道の脇に生き残りの小さな集団を見つけた。おおよそ2ヶ月も遅刻しているだろう。なんてルーズな奴らだ。

鉾立峰から地神山方面
怠惰なハクサンイチゲ

この日の幕営地、頼母木小屋に到着すると、もうテントを張れるスペースが全くなかった。あれ、飯豊ってこんなに人多いのか…。とにかく想定外だ。避難小屋の中を覗いてみると、あれれ、こっちは余裕で泊まれそうだ。1,000円多く払って、避難小屋に泊まることにした。「飯豊のオアシス」の愛称よろしく、小屋の脇に設置された流しからは水がジョバジョバ出ている。小屋の中で出会った高齢のご夫婦が、イイデリンドウの情報を教えてくれた。どうやらこの小屋の横のピーク、頼母木山のあたりで咲いているようだ。イイデリンドウは今回のメインディッシュだったので、非常に助かった。少し早いが、日没前から夕飯の鳥鍋を作って満腹になったところで、夕日を見ようと外に出た。少し頼母木山の方へ登って、小高い台地から景色を眺める。おぼろげな夕日が朳差岳の向こう側へ沈んでいく。真っ赤な夕焼けは奇麗だが、くすんだ夕焼けも雅で良い。小屋に戻ると、ご夫婦が家で作っているという梅酒をグイグイ飲まされ、良い感じにお酒が回ってぐっすりと寝た。

今日も日が沈む

翌日は3時に起床して、日が昇る前に小屋を出た。頼母木山から地神山へ向かう途中で日が昇ってきた。昨日と同じようなおぼろげな朝焼けだ。地神山を乗っ越すと門内岳が稜線の向こうにひょっこり顔を出している。早朝の稜線歩きはとても気持ちがいい。早起きは苦手だが、朝しか感じることのできない何とも言えない爽やかな空気感がある。門内小屋の手前では生き残りのヒメサユリが存在を主張していた。この数年でヒメサユリもだいぶ親しみのある花に変わった。まったく、どこで咲いていても可憐な花である。

今日も日が昇る
美しい稜線だ
ヒメサユリ

門内岳の山頂には赤い鳥居がある。地神山からは6年前に一応歩いたことがある道なので、なんとなく見覚えがある。南方向には北俣岳が存在感を放っている。石転ビ沢と門内沢の源頭部を観察したが、斜度がありシール登高に難儀しそうだ。計画では北俣岳まで行くつもりだったのだが、天気予報を見るとどうやらお昼ごろから一雨来そう。キリがいいのでここまでとして、さっさと奥胎内ヒュッテまで下山してしまうことにした。

門内岳から北俣岳を望む

さて、雨が降るといえど、帰りは大して先を急ぐ必要などない。のんびりと足元を見ながら、イイデリンドウを探すこととする。小屋で会ったご夫婦は、頼母木山の周辺で咲いていると言っていたが…。あった。頼母木山に近づくと、足元にちんまりと青い花を付けていた。かわいらしさと秩序が同居する、といったところだろうか、とにかく素敵なお花だ。

イイデリンドウ
イイデリンドウ

イイデリンドウを愛でながら歩みを進めて頼母木小屋に戻ってくると、まだ朝の8時前だった。せっかくなのでゆっくりと休憩を取る。だいぶ朝早く出てしまったので、日の出とともに味わえなかったまどろみの時間だ。いい雰囲気になりたくてコーヒーを沸かしたが、少しずつ気温も高くなってきて、出来上がった頃にはやっぱりジュースでも買えばよかったと、少々後悔した。

あとは奥胎内ヒュッテに向かってひたすら下山するのみである。大石山で飯豊の主稜線に名残惜しみながら別れを告げて、足ノ松尾根を下る。みるみるうちに気温が上がってきて、身体中から汗が噴き出してきた。大きなブナの木にタッチしながら、緑の尾根を駆け下る。やがて行きに見たブナの平原が現れて、あっという間に登山口に着いてしまった。あとは退屈な車道歩きをこなすだけだ。下山して荷物を車に押し込んだあと、ひとまずコーラを流し込み、奥胎内ヒュッテのお風呂に転がり込んだ。

朳差岳、あの日諦めたピークを踏めて良かった。そして、飯豊というこの奥深い山域の、奥深い魅力に、僕はだいぶ取り付かれてしまったようだ。僕は飯豊のことをまだあまり知らない。王道だが、次はハクサンイチゲが咲き乱れる時期にでも再訪しようかと思う。

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南会津 実川矢櫃沢~大丈田代~山犬田代~七兵衛田代

2024/6/16(日)-17(月)

七入で檜枝岐川から南へ分岐する実川周辺の地形図を眺めていると、実川の右岸に3つの田代が存在していることがわかる。奥深い帝釈山地と、煌びやかな檜枝岐の山々に挟まれた不遇の地にあることにより、皆から忘れられているその田代三兄弟の名は、北から大丈田代、山犬田代、七兵衛田代である。以前からこの三兄弟に如何にしてスキーで訪れようかと、様々なルートを妄想していたのだが、今回ゴックン氏と初夏の植物観察会をするにあたって、沢から訪れてみよう、ということになった。

七入から実川沿いの林道を小一時間歩くところから始まる。さっそくゴックン氏は対象の植物を見つけたようで、林道の脇の藪を分け入って、二人して観察会をする。割と寄り道をしたが、それでもおおよそ1時間ほどで大丈田代へ詰め上げる矢櫃沢の出合に着いた。

さっそく入渓する。新緑が美しく、容易に登れる滝が連続する小気味良い沢だ。小滝に手をかざすと、自らに向かって飛び散ってくる水飛沫がなんとも気持ちいい。冷たい沢の水を浴びても心地よく思えてしまうこの感情、ああ、大好きな夏がやってきたのだ。

入渓

沢にはこれといった難所はなくグイグイ進める。花崗岩で明るい檜枝岐の山々の沢とは異なり、こちらは新第三紀の泥岩や火成岩のダークな雰囲気を醸し出す地層の上に、下草が生い茂っているような様相で、会津駒ヶ岳や三岩岳というより、帝釈山地の雰囲気の方が近い。しかしながら、決して暗い雰囲気というわけではなく、寧ろ瑞々しい新緑に太陽光が反射して明るい雰囲気を感じさせる。

小滝を登る

やがて沢形が狭まってきて、両岸のチシマザサが段々と近づいてきた。熊でも出てきそうな雰囲気だが、気にしないことにする。チシマザサにちょっかいを出しながら進んでいくと、良い感じの幕営適地を見つけてしまった。この先に進むと水が取れなくなる可能性もあるし、少し早いがここで泊まることにした。

ここをキャンプ地とする

整地してタープとテントを張り、薪集めをする。一通りの準備を終え、大丈田代へ散歩することにした。沢を詰めていくと、ものの5分で開けた湿原に出た。想像より秩序ある湿原だ。もうすこし泥塗れになりそうな、沼みたいな湿原を想定していたのだが、何ならここで野球でもできそうなくらいだ。ワタスゲが儚げに揺れている。かわいらしいタテヤマリンドウの花があちこちで咲いている。前方後円墳みたいな長須ヶ玉山に見守られ、湿原をふらふらと右往左往する。

ワタスゲが揺れる
野球場のようだ

散策を楽しみ、タープの下に戻ってくると大粒の雨が降ってきた。大丈田代から先の沢状地形はどう見ても水が枯れていそうだったし、どうやらここで泊まることにしたのは正解だったようだ。あらかじめタープの下に取り込んでいた薪を集めて焚火を起こす。ネマガリタケを米と一緒にコッヘルにぶち込み、檜枝岐の道の駅で買った焼肉のタレで味付けをして炊き込みご飯を作ったが、これが大正解でアホみたいに美味い。他にもお約束のデカい肉を焼いたり、ポテチをつまみにウイスキーを飲んだりしながら、少しずつ暗くなる辺りをぼんやりと眺めていた。

焚き火の前で

朝、目が覚めると辺りはすでに明るくなり始めていた。再び焚き火を起こして、朝のまどろみの中でのんびりと時間を浪費する。なに、そんなに急がなくてもいいじゃないか。今日の行程は大して長くない。ボサ沢を通って田代を3つ見て、最後は林道を通って帰るだけじゃないか。

朝の時間

なんて言って余裕をぶっこいていたら、出発が9時近くになってしまった。昨日の行動開始時間とさほど変わらないじゃないか。

昨日訪れた大丈田代に、もう一度足を踏み入れる。午前中の光に照らされた大丈田代は、なんだか昨日と違って元気いっぱいに見える。いや、別に昨日の午後の大丈田代が元気なかったわけではなくて、あくまで感覚の話だ。とにかく少し時間帯を変えるだけで、まったく表情が違って見えるのだから、山は面白い。まあ、人間も同じようなものか。

大丈田代 Re;
コツマトリソウ

大丈田代から沢状地形を詰め、コルから1度下って、日本庭園みたいな小沢を詰めると山犬田代だ。山犬田代に詰め上がる小沢までは、背丈より高いチシマザサの藪漕ぎになる。掻き分け掻き分け、途中でタケノコを拾ったりする。

山犬田代が見えた

山犬田代は、気まぐれな宇宙人がレーザーでも打ったような、山の中にぽっかり空いたかわいらしい湿原だった。おそらく「山丈」田代の誤字なのだろうが、「山犬」などというなんともかわいらしい響きが、この湿原のかわいらしさを際立たせている気がする。

山犬競走

山犬田代から斜面を少し上ると、今回の最終目的地である七兵衛田代はすぐだった。馬の蹄みたいな形をした水たまりが出迎えてくれた。湿原の先の山は孫兵衛山だろう。タテヤマリンドウのお花畑になっていて、今回のちょっとした冒険譚の最終章を飾るのにはふさわしい場所だ。ふと目を凝らすと、提灯みたいなヒメシャクナゲが咲いていた。モウセンゴケもいる。湿原のど真ん中にラスボスのドラゴンでも立っていれば面白い。もしかしたら湿原の入口の水たまりは、火を噴くドラゴンの足跡だったのだろうか。くだらない妄想をしてみた。とにかくここにドラゴンはいない。ここにあるのは目の前の湿原と、孫兵衛山と、僕たちだけだ。奥まで行ったり来たりして、七兵衛田代を堪能する。

ドラゴンの足跡
七兵衛田代と孫兵衛山
タテヤマリンドウ
モウセンゴケ

七兵衛田代の奥から、サンショウウオと戯れながら実川の支流を下る。思ったより渓相の明るい沢だ。そういえばこのあたりの沢は、アクセスの悪さのわりに記録を見るような気がする。目の前にデカい黒い影がヌッと現れて、大きなカモシカがこちらを見ながら微動だにせず固まっていたときは、流石にちょっとびっくりした。

明るい沢だ

実川の本流とぶつかるあたりで、大きな滝に行く手を阻まれた。懸垂してゴルジュを突破する気なんてさらさらないので、適当に斜面を登って実川沿いの林道を目指す。この出合には左岸の岩盤の上に特徴的な松の木の大木があった。なんでこんなところに生えて、なんでこんなに育ったのか不思議だが、とりあえずこの木の下で記念撮影をした。

記念撮影

あとは実川の林道をひたすら歩くのみだ。ゴックン氏にアニメを布教したり、山の話などをしながら退屈な林道歩きをこなす。途中、ゴックン氏が藪にいきなり石を投げ込み、「熊だ!」とか言い始めた時は素直にビビってしまった。

檜枝岐の道の駅でインコと戯れ、山行で大活躍した焼肉のタレを買って宇都宮へ帰った。

例のタレ

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燧ヶ岳

2024/5/4(土)

先週の会津駒ヶ岳から眺めた燧ヶ岳はまだ雪がつながってそうだった。本来はGWなんて長く山に入りたいところなのだが、一週間後に海外旅行を控えていることもあって、軽めの山にすることにした。というわけで、初夏の陽気のなか、燧ヶ岳へ向かう。

早朝に御池の駐車場を出る。会津駒では600m担ぎ上げさせられたが、燧は下から雪がつながっている。GWということもあって周りの登山者も多い。だだっ広い広沢田代からは、夏道沿いに登っていく登山者の群れを避けるように東側に迂回し、尾根状地形をダラダラと登っていく。熊沢田代に出ると、目の前の燧ヶ岳がいっそう大きく見えた。

熊沢田代を越えるとやがて急登になる。最後はスキーを担いで爼嵓の山頂に出た。尾瀬沼の眺めが良い。尾瀬に向かって滑ろうと考えていたが、どうやら下まで繋がってなさそう。硫黄沢の源頭部をちょこっと滑って登り返すことにした。出だしは急だが快適なザラメ雪だ。200mくらい標高を落としてスキーを脱ぐ。燧ヶ岳のピークを眺めながら大休止とする。

滑ってきた斜面

さて、落ち着いたら再び俎嵓に登り返す。もはや初夏の陽気で半袖でも汗が流れる。登り返し、尾瀬ヶ原を眺めてから下山する。縦横無尽のトレースで雪面はボコボコになっており、滑走というよりスキーで下山するという感じだ。熊沢田代から眺める平ヶ岳はまさしく「平」ヶ岳で、言い当て妙である。

平ヶ岳を眺める

最後まで雪はつながっていた。檜枝岐に下りるとまだだいぶ明るい時間だったので、集落を散歩してから宇都宮に帰った。

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会津駒ヶ岳

2024/4/26(金)

今シーズンは何度も言い訳して会津駒ヶ岳へ行かなかった。モゴモゴしているうちにいつのまにかGWが来そうな日付になってしまっていた。流石にシーズンに一度は訪れておきたかったので、まだら模様の衣装を羽織った女王のもとへ、小田原攻めに遅参した伊達政宗のごとく馳せ参じた。

檜枝岐に来ると、朝だというのにもう暖かい。会津駒ヶ岳の登山口の林道の入り口には雪なんて全くなかった。しばらくは担ぎだろうか。この日の午後一番に開通する林道を、スキーを担いでトボトボと歩く。林道の脇のこごみはだいぶ成長して、葉が開きまくりである。この陽気は春爛漫といったところだろうか、暑くてたまらずフリースを脱ぎ、会津駒ヶ岳の登山口の階段の前に着いた頃にはもう既に半袖になった。

さあ行こう

今年は根雪になる雪があまり降らなかったせいか、登山口にも当然のように雪がない。予想できていたことだし、ダラダラとスキーを担いで登っていく。結局、雪がつながり始めたのは水場の手前だった。おおよそ600m程度は担がされたのだろうか。まったく、サボった自分が悪いのだが。ここからスキーを履いていく。スキーを履いてしまえば快適極まりない。しかし暑い。夏みたいな装いの僕を尻目に、まだ雪を纏った燧ヶ岳が前方に目立つ。まだ下まで雪もつながっていそうだし、来週あたり行ってみるとしよう。

燧ヶ岳

ダラダラ歩いていると視界が開けてきた。右手に大戸沢岳への穏やかな稜線が見えて、いつの間にか山頂が近づいている。駒の小屋の前の斜面を登って、ザックに腰かけて休憩を取る。メルヘンで穏やかな風景だ。再び立ち上がって、会津駒ヶ岳へのメルヘン街道を進む。時たま吹く風が肌を触る感覚が心地よい。

駒の小屋から駒ヶ岳のピーク

山頂まではすぐだった。平日だが数パーティーが登っていたようだ。百名山だし、GW前だし、そりゃ人はいるか。中門岳へ脚を延ばすほどやる気はなく、会津朝日岳を眺めて、のんびりとお湯を沸かして昼食を食べる。良い時間だ。

山頂より

しばらく休憩して、滑り始める。山頂直下の斜面は良いザラメで、軽快にテレマークターンが決まった。沢は落とさず、今日は尾根を忠実に戻る。標高を下げるにつれて段々雪が腐ってきて、行きより少し手前で雪が途切れた。確かに朝より少しだけ季節が進んでいる。登山道は雪解け水でちょっとした水路のようになっていた。

雪解けの登山道

コブシの花がちらほらと咲く登山道を、スキーを担いで下りていく。林道に下りると、登山口への林道が開通していた。下界も少し季節が進んだようだ。

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南会津 只見川右岸 白沢川右俣~大川入沢

2023/11/9(木)-10(金)

秋も更け、宇都宮の端っこも落葉が目立ち始めた。外の空気が肌寒くなってきて、日常の風景が少しずつ殺風景になっていくこの季節は、なんだか少し寂しげだ。さて、僕はそんな季節に今年の沢初めをすることになった。なお、今年のわらじ納めである。

今日は相棒のゴックン氏の車で行く。田島のスーパーで買い出しをして、ゴックン氏がなぜか道を間違えたりしているうちに、入渓時間が正午を回ってしまった。小春日和の中、少し冷たい沢の中に入る。

小春日和

沢の中はなんてことないボサ沢だ。下部は人間の手が入るのか、右岸に林道が走っており、植林された針葉樹林が続く。なんてことはない、田舎に流れているその辺の沢、という感じである。
ケンチュウ沢との出合が近付くとだんだんと周りの植生が変わり、トチノキやサワグルミが増えていく。菌類も多く、都度観察しながら進んでいく。

寂しげな沢の中
広葉樹林になった

途中、沢の中の大きな石に熊の痕跡を見つけた。その数分後に、ゴックン氏が突如「熊だ!」と叫んでダッシュし始めたが、そのドッキリは予想できていたので乗らなかった。
進んでいくと大きなトチノキを見つけて、各自記念撮影タイムとする。きっとこのあたりのヌシだろう。トチノキの対岸に極上のテン場を見つけて、ここを今日の宿とする。

トチノキ
本日の宿
芋煮会をした

翌日は普通に寝坊した。焚き火を起していると、下流の方からテンがヒョコヒョコ歩いてきて、僕たちのほうを見て数秒固まった後、尾根状の斜面を飛ぶように駆け上がっていった。斜面を駆け上がりながらも、何度か立ち止まってこっちを見ている。きっとこんなところに人間がいるなんて思ってなかっただろうから、驚くのも仕方ない。
10時すぎに出発する。ボサ沢が続く。頭上からホオノキの大きな落ち葉がヒラヒラ降ってきて、晩秋の寂しげな雰囲気を醸し出す。白沢山のピークを踏むのは止めにして、右俣を詰めてコルから大川入沢に下降することにした。右俣に入るとやがて水は枯れて、最後は緩い草付きをよじ登ってコルに上がった。

ボサ沢が続く
コルに上がった

スラブっぽい斜面をシリセードでズリズリ下って大川入沢に降り立つ。順調に下っていくと、ゴックン氏が突然叫び声をあげたので、「なんだよまたドッキリかよ」と思って振り返ると、全くドッキリではなく、丸太橋のような大きな倒木に菌類がビッシリと生えていた。ここまでの群生は初めてだったので、僕も歓声をあげて、しばし観察する。

やがてしとしと雨が降り始め、結構寒い。途中沢がカーブした出会い頭にデカい鹿の亡骸があり、びっくりして叫んでしまった。ゴックン氏はドッキリの仕返しだと思っていたようだが、亡骸を見て「これはビビりますわw」とほざいていた。手を合わせて先に進む。

やがて右岸に林道が現れ、林道を伝って下っていくと会津越川駅の裏に出た。デポしたチャリを漕いで車に戻ろうと思ったら、ゴックン氏が「僕が漕ぎますわ!」と言って凄まじい速度で消えていった。まあ3,40分はかかるだろうと思って、辺りの稲叢を眺めたり、たまたま来た汽車に挨拶したり、近くの神社を散策していると、予想より早くゴックン氏が帰ってきた。「荷解きもせず何してるんすか」と言われ、返す言葉もなかった。

会津越川駅

帰りは八町温泉に寄って、地元のおっちゃんと高田梅と菊芋の郷土料理について話し込み、宇都宮に帰った。ちなみに、おっちゃんの話は六割くらい何言ってるのか聞き取れなかった。

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