右膝前十字靭帯損傷・半月板損傷を負って② 穴馬センセーション

僕は競馬が好きだ。競馬には夢がある。別にギャンブル依存症に陥っているわけじゃない。競馬新聞を穴が開くほど見つめて、穴馬に賭けて馬券が当たったときなんて最高だ。脳汁がドバドバ出てくる。

おおよそ、勝つ見込みの少ない穴馬の馬券を買うときは、買うときは「当たったらラッキーだな」「配当跳ねるといいな」みたいな、外れたらドンマイみたいなノリで馬券を買うのだが、その数分後には得体の知れない確信のような感情が湧いてくるのだから不思議である。このときばかりは、楽観的思考に脳を支配されたゾンビと化す。ファンファーレが鳴るや否やグリーンチャンネルに釘付けになりながら対象の番号のゼッケンを付けた馬を食い入るように見守り、ほとんどの場合4コーナーで伸びあぐねて僕は頭を抱えることになる。

何が言いたいかって、MRIの診断結果を待つ僕の感情を言いたいのである。僕は極めて楽観的になり、「剥離骨折で済んでるでしょ」なんて、得体の知れない確信に脳みそを焼かれた夢遊病者と化していた。

まあ、翌日にはMRIの診断結果が分かって、映像がプリントされた診断用紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り投げたのは言うまでもない。まるでWINSで外れ馬券をゴミ箱に投げ捨てるような勢いで。まあ、流石に考え直して、ゴミ箱を漁って診断用紙を手元に戻したのだが。

前十字切っちゃった

というわけで、僕の前十字靱帯はしっかり断裂していた。しかも半月板損傷のおまけ付きである。なんか紙を見ると、剥離骨折に加えて大腿骨の骨挫傷、あとは水も溜まっているらしい。まあ、考えても無駄無駄。とにかくヤバいってことだ。

僕はそれなりにプロ野球を見ている。プロ野球を見ていると、毎年どこかの球団で誰かしらが前十字を切って、新聞の見出しに「今季絶望」の文字が躍っている。要するに今季絶望くらいの大怪我ってわけだ。ネットでググったら手術してから競技復帰まで8~10ヶ月なんて書いてあった。

ちなみに、前十字靭帯再建術とは、膝の裏の靭帯を取ってきて、前十字靭帯に移植する手術である。野球好きな人には馴染み深いかもしれないが、多分トミージョン手術と似たようなものだ。お医者様に聞いてみると、前十字靭帯の周辺は血液のめぐりが悪いため、自然治癒することはほぼなく、膝の裏の人体は復活するらしい。なんだそりゃ。

とにかく、僕の膝は手術が必要だということだ。飛び込みでお世話になった整形外科の先生に、宇都宮で一番でっかい病院である済生会宇都宮病院への紹介状を書いてもらって、さっそく済生会に行ってきた。3月16日、いつの間にか怪我してから2週間以上も経っていた。流れる季節の真ん中でふと日の長さを感じる余裕は、この期間の僕にはなかったようだ。

済生会の先生は初診から「手術いつにします?」なんて聞いてきた。それくらいのノリの方が僕も気が楽だ。手術日は4/14、おおよそ一か月後になった。皐月賞は病室から見ることになりそうだ。不健康な場所から見るギャンブルは格別の感情がありそうだ。

この頃には剥離骨折もだいぶ治ってきており、術前リハビリに勤しんだ。まあ、右膝を気にしながらスクワットしたり、スクワットしたり、そんな感じだ。手術後は右脚を動かせないので、左右の筋力差がどうしても生じてしまう。もちろん、怪我をしてから今までも右脚を動かせなかったわけなので、手術をするまでに右脚と左脚の筋肉のバランスを整えておこう、というわけである。

あれよあれよと入院前の健康診断だったり、いろいろな手続きを終えて、4月の最初の週はひとまず東京の実家に帰ってきた。タイヤ交換をしたり、スキーをチューンナップに出したりと、いろいろと用事を済ませたあと、生まれ持った膝の靱帯で、育った街をフラフラと散歩した。運のいいことに野川沿いの桜が満開だった。

桜が咲くよ

次の週も暇だったので東京に戻った。いつの間にか野川沿いの桜は散ってしまっていた。季節の流れは早いし、桜という花は儚いものだ。僕の右膝も、季節の流れと共にいつの間にか治ってしまうとありがたいのだが、なんて思った。

一通り散歩した後、家の近くの神社で神頼みをしてみた。脚をメスで切り開かれることよりも、背中にぶっ刺す硬膜外麻酔の注射に怯えまくっていた。まあ、欲張りな僕は、注射で気絶しないことを祈ったり、手術の無事を祈る、なんてことはしない。30分後に発走となる桜花賞で、本命の穴馬が複勝圏内に来ることを、ただひたすらに祈っていた。

神頼み

今年の桜花賞は圧倒的1番人気のリバティアイランドという馬がえげつない末脚で差し切って勝った。自由の島か。今や僕の前十字靱帯も馬券もどこかの島へ飛んで行って、僕の右膝はフラフラと自由(フリー)状態である。人生も大体1番人気が来て、番狂わせなんてそうそう起きない。何事も堅実に生きた方がいい。切実に。

右膝前十字靭帯損傷・半月板損傷を負って① あの日

2023年2月25日、僕にとって生涯忘れられない日だろう。

僕はこの日、右膝前十字靭帯損傷及び半月板損傷という、なかなか酷い怪我を負ってしまった。とりあえず、まずはこの日のことを話していこうと思う。

僕はこの日、朝から南会津の志津倉山を散策していた。ただ、連日の仕事の疲労で寝坊してしまったので、山頂まで行かずに途中で引き返し、下山してきた。しかし、やはりこういうことをしてしまうと、「物足りない」と思ってしまう。そう思って、近隣の某スキー場に足を運んだ。

昔、スキー場で帰りたくないとごねる自分に、祖母が言葉をかけてくれた。「何事もちょっと物足りないくらいがちょうどいい」と。時折思い出しては心に言い聞かせたりしているのに、なぜこの時はこの言葉を思い出さなかったのだろうと、今はそう思ってしまうのだ。

さて、某スキー場に着いた僕は、いつも通り一番上の急斜面の非圧雪のコースをグルグル回していた。数本滑ってそろそろ休憩しようかな、という一本。疲労感に包まれながらも気持ちよく滑っていた僕はふと上を見た。すると、なんと制御の効かなくなったスノーボーダーが僕めがけて突っ込んでくるではないか。駆け出しの新入社員だというのに、エセ精神病で仕事をサボり始めて会社に来なくなった課内いちばんのベテランの仕事を全て押し付けられていた僕は、如何せん能力が高いおかげでそれなりに膨大な量の仕事をこなしてはいたが、やはり連日の残業と睡眠不足が応えていたようで、一瞬反応が遅れてしまった。

しかし、それでも避けきった。今思えば衝突していればたんまりお金でも貰っていたのだろうかと下衆な想像をしたりもするが、最悪の事態になっていた可能性も拭えない。とりあえず避けきることができてよかったとは思っている。

ただ、避けきった瞬間に、僕の右膝から文字通りの「ボキッ」という音がして、刹那、膝が抜けてものすごい勢いで転倒してしまった。正直、この時点で、「前十字靭帯」の五文字が頭をよぎっていたのだが、ひとまず考えないようにした。

スノーボーダーは僕がうずくまっているうちにどこかへ消えてしまったようだ。大方僕の方が悪いとでも思ったのだろうが、ゲレンデでは上にいる人間が板を制御するのが暗黙の了解だし、そもそも板を制御できない未熟な状態で上級コースに入ること自体が間違っている。という理屈は抜きにしても、この件でスノーボーダーは極めて感覚的な理由で大嫌いになった。まあ、ただの偏見なのだが。

とりあえず起き上がって、下を目指すことにする。幸い、アドレナリンがドバドバ出ていたのか知らないが、なぜか滑ることができた。何度か転倒しかけたが下まで滑り切り、車に戻って病院に向かうことにした。しかしここは会津の奥地、休日ということもあって近隣にあいてる整形外科など当然無く、宇都宮まで忍耐のドライブを強いられそうだ。

車に乗り込むとアドレナリンが切れたのか、右膝の違和感がだんだんと強くなってきた。レヴォーグのアイサイトをフル活用して、なんとか宇都宮に舞い戻る。

休日でもやってる整形外科が一軒あり、そこでレントゲンをとってもらうと「右膝の剥離骨折」とのことだった。先生曰く、靱帯の状態はMRIを撮らないと分からないらしい。なんとなく先生の口ぶりから嫌な予感が漂っているのはわかっていたが、「剥離骨折なら二週間で治るだろ」と高を括ることにした。ただ、右脚はボンレスハム状態となった。なんとなくタンパク質が摂りたくなって、この日の夜はボンレスハムを眺めながらハムエッグを食した。

ボンレスハム