南会津 大博多山

2025/3/8(土)

白い絵の具をべっとりと塗りたくったかのような大博多山に登ってきた。

旧南郷村を静かに見守るように佇む大博多山は、ブナに覆われた静かな山だ。雪が降る時期は南郷スキー場を拠点に動き回る僕にとっては、ゲレンデからひときわ目立つその姿に自ずと親しみを覚えていた。

昨秋、大博多山の懐に入って横向沢沿いの穏やかな森を散策し、その穏やかな雰囲気に浸る機会があったものの、その頂を踏むには至らなかった。今回、自宅に居候中の「ラッセルモンスター」ことゴックン氏(無職)をお供に、その頂に登ることにした。

秋のでえはたやま

ちなみに、地元の人々はこの山を親しみを込めて「でえはたやま」と呼んでいるらしい。

大博多山の東から突き上げる滑沢沿いに標高を上げ、適当な場所で尾根に乗り上げる算段だが、この山域の里山を冬に登ろうとすると、どうしても駐車という問題が生じる。我々はきらら289の道の駅に車を停め、滑沢にかかる橋まで約2kmの行程を歩くことにした。滑沢の橋へ向かう車道の脇の除雪された雪壁が例年より高く、今年の雪の豊富さを感じさせる。

橋から少し入ったところでワカンを装着し、滑沢沿いの林道を進んでいく。沈んでも脛程度で、なかなか軽快だ。高曇りで雪も腐らずすこぶる快適である。

林道を行く

716の尾根の末端の二俣を左に入ると林道の痕跡は消える。スノーブリッジを渡ったりしながら、沢沿いをサクサク音を立てて進んでいく。

滝が出ている
沢底を行く

適当なところから尾根に這い上がることにした。なかなかの急登で骨が折れそうだが、ここはゴックン氏が道を切り開いてくれた。豪快な雰囲気で雪を掻き分けながらも丁寧にステップを刻む、流石は「ラッセルモンスター」の職人技だ。僕はトレースを辿って、後ろも振り返らずただ黙々と登る。いつの間にか高曇りの雲は取れて、辺りの雪面はまろやかなクリーム色に反射していた。尾根に乗り上げると、ゴックン氏がのんびりとザックに腰掛けていた。

斜面に取り付く
尾根に上がった

いつの間にかだいぶ標高を上げたようで、南会津の山々の眺めがいい。やっぱり今年は雪が多い。雪が多いのだが、目の前の景色が雪に覆われているというのに、身体の周りを流れる空気の感覚や、一歩踏み出す時に感じる足元の雪の感覚から、ほんのりと春の香りがするから、季節というのは不思議なものだ。志津倉山と博士山を背負い、標高を上げていく。

尾根を行く

山頂から南東方向にあるポコに出ると、気温が低かったのか、それとも風の流れの関係か、いきなり樹氷の森になった。空はいつの間にか高曇りに戻っていて、薄い雲の向こうの太陽がほんのりと木々を照らして、シャイな子どものようにブナの木々が煌めきを放っている。シャイなトンネルを抜けると、今度はイカつい雪庇が悠然と現れた。力士の胸板みたいだ。しかし、これを越えれば頂上である。

シャイな樹氷
頂上雪庇

しかし悪知恵の働く僕たちは、力士と対峙して堂々と張り手を食らわせたりはしない。雪庇の下を左にトラバースし、雪庇の弱点にハッタリをかますようなトレースの先に、相棒が首を伸ばして待っていた。「君は雪庇を見て頂上行かなくていいとか言い出しそうだから、選択肢のない場所まで来たよ」とゴックン氏は言う。失礼な、今日の僕はそこそこやる気があるのだ。

雪庇を越えにかかる

雪庇を越えると頂上はすぐだった。思えばゴックン氏にだいぶ引っ張ってもらった。情けないが本当にありがたいことだ。とても静かで穏やかな山頂だ。西側は樹林に阻まれて会津朝日や浅草岳は木々の隙間から首を覗かせるだけだが、その他270度の展望は素晴らしく、御神楽岳から身体を反転させて窓明山まで、穏やかな南会津の山々が一望できる。

額を撫でる風がほんのり暖かい。春はまだ遠いようで、実はすぐそこまで来ているのだろうか。

頂上より
尾白山

あんドーナツを2,3個口に放り込み、暗くなる前に下山することとする。行きは良い良い帰りは怖いなんていうけれど、やっぱり下りはグイグイ下る。尾根をひた下り、行きによじ登った急斜面はシリセードで進むと一瞬だった。あとは滑沢沿いをただひたすらに下って、アスファルトに下りてきた。

踏みたいピークなんて人による。きっとこの頂は、世の登山者の99%には見向きもされないのだろうが、多分僕にとっては、他の99%のピークよりも、言い表せない価値がある。そこに流れる穏やかな時間に、ただのんびりと浸りたいのだ。

これからは僕も親しみを込めて、「でえはたやま」と呼ばせてもらおう。またここでのんびりと過ごしたい、そんな場所だった。

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7878353.html

飯豊連峰 杁差岳・門内岳

2024/7/13(土)-14(日)

「最果て」という言葉が好きだ。飯豊の「最果て」はどこだろう。それはやはり朳差岳なのだろう。朳差岳から北へ伸びる尾根で飯豊の主稜線は終わる。

6年前の初秋に、大学のワンダーフォーゲル部で飯豊連峰の主稜線の踏破に挑んだ。最終日の天候が悪く、地神山を越えたあたりで朳差岳を諦めることにして、飯豊山荘に下山した。その時、地神山から拝んだ朳差岳のピークは、小さな旅のゴールテープを切るのにふさわしい、RPGの最終到達地のような雰囲気を感じた。ただ、あの時エブリを眺めながら下山してしまったことがなんだかんだ心残りになっていて、右膝の抜釘手術を受ける前に訪れることにした。

深夜に奥胎内ヒュッテの駐車場へ向かい、車中泊した後、バスで足ノ松尾根の登山口まで運んでもらう。緑に覆われた静かな森を歩き始める。ブナが林立する平原状に道が続く。熊鈴の音がいくつか響く。意外と登山者は多いようだ。尾根に取り付くと、左手には飯豊の銘溪、足ノ松沢が深く飯豊の山を抉っている。

足ノ松沢

眠りが浅かったのか、登り始めは吐き気がして気分が悪かったが、足元を回転させているうちに次第に回復していった。柔らかな朝日が緑のブナの森を照らす。1100mあたりで一度休憩を取り、羊羹を頬張った。このあたりのブナ林はとても爽やかだ。

爽やかなブナ林

大石山に近付くにつれ段々と視界が開けるが、気温も段々高くなってくるので汗が流れる。足元の高山植物に目を向けたりしながら脚をひたすら動かしていくと、ちょっとした丘みたいな大石山のピークに出た。あの日、先に進むことができなかった飯豊の主稜線に立っている。なかなか感慨深い。

ヤマハハコ

大石山から仰ぎ見る朳差岳は壮観だ。雪に覆われた時期も素晴らしいだろうし、秋の時期もきっと素晴らしいだろう。まずはスキーを履いて訪れてみたい。まだ登ってすらいないのに、そんなことを考えた。

朳差岳が壮観だ

朳差岳まではアップダウンの連続だ。まずは鉾立峰とのコルまで150m程度下り、再び150m登り返して鉾立峰のピークへ上がる。そこからまた100m程度下って、朳差岳へ登っていく。朳差岳の直下はニッコウキスゲが今にも咲き乱れんとばかりに満開の時を待っていた。その隙間で風に吹かれるマツムシソウの薄紫に、盛夏の訪れを感じる。朳差岳の避難小屋の前でチェック柄の老人と言葉を交わすと、今年はニッコウキスゲが少ないとのことだった。

マツムシソウ

朳差岳の頂上はアキアカネが乱れ飛んでいた。振り返ると、登ってきた道はガスに巻かれている。目的地に着いたとたんガスが上がってくるなんて、やっぱり僕は雨男なのだなあと少しばかり落ち込みながら、羊羹を頬張ってアキアカネの行く先を見守る。

朳差岳に立つ
ガスった…

さて、長居していても仕方がない。来た道を戻って今日の幕営地である頼母木小屋を目指す。鉾立峰に戻ったころにはすっかりガスが晴れていた。よくあることだ。
大石山から先は緩やかな登りで歩きやすい。振り返れば朳差岳の穏やかな山容に癒される。朳差岳といえばハクサンイチゲの大群落が有名だが、もう旬はとっくに過ぎたというのに、登山道の脇に生き残りの小さな集団を見つけた。おおよそ2ヶ月も遅刻しているだろう。なんてルーズな奴らだ。

鉾立峰から地神山方面
怠惰なハクサンイチゲ

この日の幕営地、頼母木小屋に到着すると、もうテントを張れるスペースが全くなかった。あれ、飯豊ってこんなに人多いのか…。とにかく想定外だ。避難小屋の中を覗いてみると、あれれ、こっちは余裕で泊まれそうだ。1,000円多く払って、避難小屋に泊まることにした。「飯豊のオアシス」の愛称よろしく、小屋の脇に設置された流しからは水がジョバジョバ出ている。小屋の中で出会った高齢のご夫婦が、イイデリンドウの情報を教えてくれた。どうやらこの小屋の横のピーク、頼母木山のあたりで咲いているようだ。イイデリンドウは今回のメインディッシュだったので、非常に助かった。少し早いが、日没前から夕飯の鳥鍋を作って満腹になったところで、夕日を見ようと外に出た。少し頼母木山の方へ登って、小高い台地から景色を眺める。おぼろげな夕日が朳差岳の向こう側へ沈んでいく。真っ赤な夕焼けは奇麗だが、くすんだ夕焼けも雅で良い。小屋に戻ると、ご夫婦が家で作っているという梅酒をグイグイ飲まされ、良い感じにお酒が回ってぐっすりと寝た。

今日も日が沈む

翌日は3時に起床して、日が昇る前に小屋を出た。頼母木山から地神山へ向かう途中で日が昇ってきた。昨日と同じようなおぼろげな朝焼けだ。地神山を乗っ越すと門内岳が稜線の向こうにひょっこり顔を出している。早朝の稜線歩きはとても気持ちがいい。早起きは苦手だが、朝しか感じることのできない何とも言えない爽やかな空気感がある。門内小屋の手前では生き残りのヒメサユリが存在を主張していた。この数年でヒメサユリもだいぶ親しみのある花に変わった。まったく、どこで咲いていても可憐な花である。

今日も日が昇る
美しい稜線だ
ヒメサユリ

門内岳の山頂には赤い鳥居がある。地神山からは6年前に一応歩いたことがある道なので、なんとなく見覚えがある。南方向には北俣岳が存在感を放っている。石転ビ沢と門内沢の源頭部を観察したが、斜度がありシール登高に難儀しそうだ。計画では北俣岳まで行くつもりだったのだが、天気予報を見るとどうやらお昼ごろから一雨来そう。キリがいいのでここまでとして、さっさと奥胎内ヒュッテまで下山してしまうことにした。

門内岳から北俣岳を望む

さて、雨が降るといえど、帰りは大して先を急ぐ必要などない。のんびりと足元を見ながら、イイデリンドウを探すこととする。小屋で会ったご夫婦は、頼母木山の周辺で咲いていると言っていたが…。あった。頼母木山に近づくと、足元にちんまりと青い花を付けていた。かわいらしさと秩序が同居する、といったところだろうか、とにかく素敵なお花だ。

イイデリンドウ
イイデリンドウ

イイデリンドウを愛でながら歩みを進めて頼母木小屋に戻ってくると、まだ朝の8時前だった。せっかくなのでゆっくりと休憩を取る。だいぶ朝早く出てしまったので、日の出とともに味わえなかったまどろみの時間だ。いい雰囲気になりたくてコーヒーを沸かしたが、少しずつ気温も高くなってきて、出来上がった頃にはやっぱりジュースでも買えばよかったと、少々後悔した。

あとは奥胎内ヒュッテに向かってひたすら下山するのみである。大石山で飯豊の主稜線に名残惜しみながら別れを告げて、足ノ松尾根を下る。みるみるうちに気温が上がってきて、身体中から汗が噴き出してきた。大きなブナの木にタッチしながら、緑の尾根を駆け下る。やがて行きに見たブナの平原が現れて、あっという間に登山口に着いてしまった。あとは退屈な車道歩きをこなすだけだ。下山して荷物を車に押し込んだあと、ひとまずコーラを流し込み、奥胎内ヒュッテのお風呂に転がり込んだ。

朳差岳、あの日諦めたピークを踏めて良かった。そして、飯豊というこの奥深い山域の、奥深い魅力に、僕はだいぶ取り付かれてしまったようだ。僕は飯豊のことをまだあまり知らない。王道だが、次はハクサンイチゲが咲き乱れる時期にでも再訪しようかと思う。

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-7023324.html

田代山・帝釈山

2023/8/27(日)

中学生のころ、社会の授業になると、授業そっちのけで地図帳を開いて眺めていた。交通手段が自転車と鉄道に限られていたあの頃、この「帝釈山地」には一体どうやったら辿り着けるのだろうかと思案し、得体の知れない秘境として一種の憧れがあった。その後、日本には地形的に辿り着くことが困難な本当の「秘境」が存在することは、山という文化と触れあっていくうちに自ずと理解していくのだが、今でも地形図でこのあたりを眺めていると、僅かながら少年の頃の憧れに似た気持ちが思い出される。

さて、前十字靭帯再建手術から4か月と少し経った。お医者様によるとだいぶ経過は順調らしい。術後3か月で軽いハイキングが許可された。僕の中では少し不安があったので、トレーニングを重ね、ある程度目途がついたタイミングで、リハビリで田代山と帝釈山を訪れることにした。かつての秘境をリハビリに使ってしまうのは、なんだか少し寂しい気持ちになったりもする。

ダートの林道を小一時間車で走ると、田代山へ程近い猿倉登山口に着く。登山道はしっかり整備されていて歩きやすい。朝の森を歩いていく。右膝の調子も良さそうだ。
小一時間登ると小さな田代に出た。ここはまだ山頂ではないが、気持ちの良い場所だ。牧歌的な湿原が朝のそよ風に揺れる。晩夏の寂しげな風と、目の前の爽やかな景色のギャップが良い。

森の中を行く
小田代

小田代から20分程度登ると田代山の山頂だ。名前のとおり、山頂は広大な湿原になっている。湿原の向こうに緑の壁のような檜枝岐の山々が見えた。

田代山

田代山の避難小屋で少し休憩して、帝釈山へ向かう。針葉樹林の中を縫って歩いていくと、程なくして帝釈山の山頂だ。残念ながらガスに巻かれていたが、あの頃の地図帳の中の秘境にいるのだと思うとなんだか感慨深い。

帝釈山
針葉樹林のトレイル

栃木県側から雲がもくもくと上がってきていたので、急ぎ気味に登山道を戻る。田代山湿原に戻ると、足元にアキノキリンソウが咲いていることが分かった。山の季節の移ろいは早い。下界はうだるような灼熱でも、山の上は確かに秋の足音が聞こえてくる。

再び田代山湿原

登山口近くまで下ると、若いツキノワグマが一頭、倒木と戯れていた。僕の姿を見て一目散に藪に消えていった。距離が近かったので驚いたが、夏休み明けの挨拶に来たと思うと、なんだかかわいらしい。

ヤマドリと挨拶を交わして林道を車で下る。会津西街道を走っていると、湯西川のあたりで雷雨になった。早く下りてきて正解だったようだ。

ヤマドリ

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-5875169.html