2026/4/9(木)~13(月)
メンバー:JOHSON
南会津をひとつの大きな山脈として捉えるならば、間違いなく会津朝日岳から丸山岳、会津駒ヶ岳を経て尾瀬御池に伸びる稜線を主脈として捉えるべきであろう。
兼ねてよりこの日程で、奥只見ダムから白戸川と黒谷川の横断を絡めて、丸山岳~火奴山~山毛欅沢山と繋いで、小立岩に至る南会津スキー横断を考えていたが、如何せん今年は雪が少なすぎて相応の苦労が予想される。この際、南会津の主脈を一気に歩ききってしまおうと、歩きでの縦走に舵を切ることにした。
今回は会津駒ヶ岳から檜枝岐に下りず、御池まで繋げることにこだわった。会津朝日岳から会津駒ヶ岳に至る積雪期の南会津縦走については、かの「岳人100ルート」にも選出されており、ネットにもちらほら記録が転がっているが、いずれも駒の山頂から滝沢尾根を下って檜枝岐に出ている。
しかしながら、地理院地図を見ながら南会津の主脈を朝日から指で辿ってみれば、丸山岳、坪入と来て、三岩、駒から大津岐峠、大杉岳を経て御池を終点と成すのが至って自然に思えてくる。確かに会津駒ヶ岳のネームバリューを考えれば、これを終着点として南会津の縦走を終えるというのも自然な流れのように思えてくるが、「南会津」を「縦走」するという言葉を素直に捉えるのであれば、駒で縦走を終わりにして街に下りるというのは、いわゆる「途中下山」であるように感じてしまう。
まあ、何が言いたいのかというと、僕は愛で南会津に通っているから、言葉通り愛をこめたラインを描きたいということだ。単に南会津への「こだわり」が強いだけなのだ。ただ、この「こだわり」を裏切るようなことはやりたくない。
ちなみに、燧ヶ岳はひとつの独立峰であって、南会津の主脈には入らないと認識している。結局のところ、こんなに御託を並べておきながら、「ネームバリューのある山で山行を終えたい」という、ミーハーな考えが僕にもあった、ということだ。
【4/9】1日目 白沢林道除雪終了点~いわなの里~会津朝日岳~鋸刃~Co1467mP(C1)
白沢集落のカラーコーンをこっそり突破(すんません)し、除雪終了地点から8時前にスタート。いわなの里の500m手前程まで除雪されていた。

燻んだ季節だというのに、澄み切った青空が広がっている。どんな山でもはじめの一歩は少し重たいものだが、今日は青空が山に誘ってくれている。赤倉沢の側壁の雪はほぼ落ちており、大砲に撃たれる心配は殆ど無い。ふきのとうを摘みながらポレポレと歩く。


叶の高手への急登はとにかく暑い。何度も汗を拭った。今年はブナの花が咲くのだろうか、ブナの冬芽がプクリと膨らみ、今にも中身が弾け出しそうだ。叶の高手への稜線に乗り、視界が開けると只見の山々は真っ黒だ。叶の高手で小休憩を取る。


大クロベを見送り、小ピークをトラバースする。避難小屋の前をうさぎがひょいと1羽跳ねていった。3週間前に登った会津朝日岳の北稜は、すっかり雪が落ちていて薮尾根と化している。



青空に向かってガシガシとトレースを付け、会津朝日岳の山頂に立つ。浅草岳の方向を眺めると、オニガツラの岩壁が墨をべったり塗ったような様相で、何ともおどろおどろしい。

鋸刃の尾根に進む。雪がない。うざったい藪漕ぎになる。3週間前に長須が玉から会津朝日岳の南壁は勝ち目を見出せそうな雰囲気であったが、鋸刃からの南壁はどす黒く、絶望的な様相を呈している。



鋸刃を越えても雪がない。ラッセルはそこそこ好きだが、藪漕ぎは苦手だ。キタゴヨウの大木があったが、写真を撮る余裕もなかった。技術的に難しいわけではないが、体力が奪われ、消耗する。纏わりつく薮の海を必殺の犬掻きで泳ぎきり、ヘロヘロになりながらもCo1467mのピークで幕。

朝に摘んだふきのとうを湯掻いて、カレーうどんにぶち込んだ。多分ふきのとうが無い方が美味しい。入山祝いとか言って、ビールを1缶開けた。NHKラジオを付けると、新潟からの電波のようだ。夜は雨になった。
【4/10】2日目 Co1467mP(C1)~大幽朝日岳~丸山岳~梵天岳~高幽山~約1470mコル(C2)
2時半に起きる。ラジオから吉田拓郎が澱んだ音で流れている。カレーメシを食べて、お茶を飲む。

4時半に出発。温暖前線と寒冷前線の隙間を突きたい。高曇りで割と悪くない条件だ。大幽朝日岳を越えると…雪がない。尾根上を素直に繋ぐとシャクナゲの薮に阻まれ、薮を嫌って雪を繋ぐと踏み抜き地獄だ。トラバースを試みると、急斜面に阻まれてあっちこっち。心身共に消耗しながら、丸山岳手前のCo1736mで雪が繋がった。



テン場から5時間弱かけて丸山岳の山頂に立つ。その名の通り、まるっとしていて穏やかな頂だ。天気も持ちこたえてくれた。感傷に浸りたいが、水を差された。誰かが取り付けたのか、今までの記録にはなかった山頂標識があった。この山にはそぐわない。丸山岳のような山は、行き着いた果てに山だけが其処にあるのが良いのだ。



梵天までの稜線歩きは至高である。未丈ヶ岳が大きな翼を広げて佇んでいる。暗雲立ち込める越後駒を背負い、荒沢岳だけに日が差して煌めいている。奥利根の山々にも所々日が差し、遠慮がちに煌めきを放っている。

Co1723mのピークから、夏に遡行した西実沢を眺める。雪で埋まった谷に吸い込まれそうになる。思い出に浸りながら、ひと登りで梵天岳へ向かう。火奴尾根がよく見える。いつか歩きたいなあ。二岐山の2つの耳が目立つ。そういえば会津朝日からずっとチラチラと存在感をアピールしていた。何だか可愛らしい。



大きく翼を広げた未丈ヶ岳のシルエットが徐々にぼやけてきた。「もうすぐ雨が降るな…」と思っていると、高幽山の手前で雨になった。高幽山を越えて、1470mのコルで幕。大気が山肌を擦り、山に宿る木々が唸る。ブロックを入念に積んでおく。


祝!丸山岳登頂!とか言いながら、餅入りラーメンにウインナーをぶち込んだ。ボイルしたウインナーがバカみたいに美味い。外は烈風が唸っているのに、NHKのラジオは「くつろぐ」ことをテーマとした謎の俳句が流れている。混沌とした気分でくつろぐ。薮漕ぎで消耗していたのもあり、おそらく17時代に撃沈。寒冷前線が通過したのか、夜は嵐になった。クロスオーバードームは浸水祭りだ。浅い眠りの意識下で、時折水滴がひたりひたりと頬を伝うのが分かったが、なるようになる、そう微かに思いながら眠った。
【4/11】3日目 約1470mコル(C2)~坪入山~窓明山~三岩岳避難小屋(C3)
2時半に起きる。雨が強い。風も強い。お茶を飲んでカレーメシを食べるが、やる気が出ず二度寝をかます。5時に再び起き、アップルティーを飲んで覚悟を決め、6時半に出発。昨日入念に積んだブロックが雨で無惨な姿になっていた。無念。
外は虚無だ。何も見えない。それに、雨が強くしんどい。しかし、薮漕ぎより全然良い。

虚無の尾根を行く。ワンポイントだけギャップに阻まれ、雪壁登りがあった。坪入山の手前など巨木の針葉樹林帯で、条件が良ければおそらく非常に雰囲気が良さそうだが、ガスで5m先しか見えぬ。窓明山の直下は低灌木帯の踏み抜き地獄だ。もう薮はいい。

窓明山の頂上からは電波が繋がり、下界が近づいたことを実感する。チラ見したヤマテンの会津駒の予報は晴れになっていたが、雨が降っているうえに、ただただ虚無である。
あまり人工施設を使いたくなかったが、誘惑に負けて三岩岳避難小屋で11時過ぎに行動を打ち切る。快適すぎて小屋の中でひとり踊り狂う。着てるものを全て脱いで乾かす。靴はびしょ濡れで、もはや沢登りである。

小屋で水作りしてたら晴れてきやがった…。三度寝が正解だったか…。
人の声が聞こえて急いで服を着た。3人パーティーがやってきて、雪洞泊するとのことだ。賑やかでいいなあ。避難小屋に天窓から出入りするムーブは簡単なジムの4級くらいありそうだが、3回目くらいで正解ムーブを見つけた。夕飯は餅入り塩ラーメンに鯖缶をぶち込む。鯖がバカみたいに美味い。ラジオは落語と野球中継が流れる。野球中継が終わったタイミングで、この日も17時代に撃沈。横浜が勝ったらしい。
【4/12】4日目 三岩岳避難小屋(C3)~三岩岳~大戸沢岳~会津駒ヶ岳~大津岐峠~大杉岳~御池(C4)
2時起床。カレーメシを食べる。4時出発。風が轟轟と唸りを上げ、季節が逆戻りしたかのように寒い。
三岩岳へ登る。避難小屋でぐっすり寝たおかげか、すこぶる快調だ。少しばかり明るむと、辺りはまだガスに覆われているようだ。「日の出までに晴れてくれよ…」と祈りながら、1歩ずつ進む。

三岩岳の肩は、これまで歩いてきた山々を一望できる絶好の展望台になっていた。ザックに座って、行動食を貪りながら夜明けを待つ。東の空が徐々に明るみ始め、ガスが徐々に上へ抜けていく。晴れろ!晴れろ!晴れた!
その瞬間、日が昇った。南会津の山が紅く染まる。なんて美しいのだろう。この時だけは、目の前の紅く染まった世界と、ちっぽけな僕しか存在しなかった。ぐしょ濡れに濡れた靴、薮に消えたテムレス、アイゼンで引き裂いたスパッツ、そんなことは朝日が全て忘れさせてくれた。ただ、無心で目の前の景色を食い入るように見つめた。ふと我に返ったとき、あぁ、ここまで歩いてきて良かった、と心から思った。


三岩岳の山頂に登ると、駒への稜線が黄金色に輝いていた。



いくら手を伸ばしても、何も掴むことができないような、澄み切った青空になった。檜枝岐の山々はたおやかで、何も怖さを感じない。いたって快適な尾根歩きで会津駒ヶ岳に至る。




ここから下山…せず、燧を目指す。ここからが素晴らしかった。歩みを進めるごとに燧が近づいてくる。雪を纏った燧はなんとも勇壮で聡明だ。


電発避難小屋を越えたあたりで、踏み抜きに足を取られ、思わず座り込んでしまった。その時、猛然と目に飛び込んできたのは、威風堂々と根を下ろす、誇り高き燧の姿だった。ただ圧倒され、数分間動けなかった。

檜枝岐の山の真髄は駒から先の稜線にあった。やはり駒で山行を打ち切るのは途中下山だ。
そして、まともな山ヤが御池まで主脈を歩ききろうとするならば、眼前に立つ燧の姿を見て、「あれに登らねば終われない」と、きっとそう思うだろう。縦走をひとつの物語とするならば、燧を眼前に捉えて下山するのは、ビターエンドというものだ。どうせならハッピーエンドで終わりたいだろう?
大杉岳からブナ林をテクテク下って御池に至る。一応、これで主脈縦走自体は完走した。小さくガッツポーズをする。御池はほぼ除雪されていた。


御池の山の駅の前にそそくさとテントを張る。ポカポカだ。お店を広げ、びしょ濡れの冬靴と靴下を天日干しする。ようやく持ってきた小説を読む暇ができた。「ムーミン谷の彗星」は半分くらい進んだ。そして、テントの中で読む「旅をする木」は適材適所というものだ。餅入り味噌ラーメンを食べて、19時代に撃沈。
【4/13】5日目 御池(C4)~燧ヶ岳~御池~七入
朝は寒く、何度か目が覚める。うだうだして5時半起床。お茶を3杯飲み、カレーメシを掻き込む。
今日は只見に生息するゴリラと山頂で集合することになっている。片付けをして8時に出発。旅の最後に相応しい、清々しい青空だ。

空荷は楽だ。実に快調に進む。熊沢田代からは平ヶ岳が美しい。途中、鳥のバケモノみたいな木があり、思わず3度見してしまった。
山頂直下の斜面からは丸山岳から駒まで、歩いてきた山々が全て見える。会津朝日岳は遠い。あそこから歩いてきたのか。



頂上にゴリラがいた。退屈そうだ。七入から3時間で来たらしい。この爆速ゴリラめ、速すぎだろ。
頂上からは尾瀬が見えた。春の風に吹かれて、まだ真白い尾瀬を見下ろす。雨風を耐え抜き、聳える山々を越え、そんな旅の最後に見たのは白く優しい湿原だった。これを冒険譚の終わりとするならば、案外素敵な物語だろう?
そんなことを考えながら、ただ、春の風に吹かれた。


ゴリラは硫黄沢を滑るらしい。下り始めると、ゴリラの叫び声が聞こえた。シリセードを交えて下ると瞬殺だった。1時間ちょいで御池に下る。
パッキングをして、再び重荷を背負う。といっても、もうあんまり重くない。急に旅の終わりを思い知り、少し寂しくなった。でも、お腹は空いたし、とにかく風呂に入りたい。林道をショートカットしながらテクテク歩いて七入に出た。先に下りていたゴリラがコーラを買ってきてくれた。今日もコーラが美味い。


ラインの美しさを語るのであれば、只見川から小戸沢中間尾根やオオダトウミの尾根を繋いで会津朝日岳に向かうべきなのかもしれない。実際、それが出来るのなら尚更良かったと思う。
しかしながら、山をやるうえでは、美しさばかりにこだわっていられないのもまた事実である。環境的な合理性と、ラインの美しさを天秤に掛け、如何にして両立させ、如何にして切り捨てるのかというのは、山登りの永遠の課題であると思う。そして、その選択に、一人の山ヤとしての個性が現れると思っている。少なくとも、限られた時間の中で、自分なりの「こだわり」を表現することができたはずだ。
南会津という山域は、地形図の上で自らの「こだわり」を存分に、自由に描くことが許されている。それが楽しくてたまらないのだ。南会津という山域が、いつまでも偏屈な山ヤの「こだわり」が評価される山域として存在し続けることを、南会津フリークの一員として切に祈っている。

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