2026/8/23(日)~25(火)
メンバー:ok2さん、ゴリラ、JOHSON
今年の正月のことだ。祖父の書庫を漁っていたら、東北大学山岳部の記念誌を見つけた。
頬杖を突きながらペラペラとページを捲っていると、1959年に、祖父を含む東北大学山岳部のパーティーが、「大又沢」を遡行し、飯豊本山に詰めあげたのち、そのまま稜線を縦走して川入へ抜けていた。
まだ1950年代のことだ。日本の登山史においては大登攀時代に突入した頃で、谷川岳、穂高岳、剱岳といった日本を代表する山々の巨大な岩壁が、競うようにして登られ始めた、そんな時代である。装備や技術の確立がなされず、気魄に頼る過酷な時代の飯豊の沢の遡行は、きっと一筋縄ではいかなかっただろう。祖父に尋ねると、「草鞋で登ったんだ」としか言わなかった。
思えば、今まで祖父は自分の山登りのことをあまり話してくれなかった。1959年の夏、飯豊の本流を遡行した祖父の目に、どんな景色が飛び込んできたのだろうか。飯豊の地は、今も67年前と変わらないのだろうか。祖父が辿った道程を、無性に辿りたくなった。自らの目で確かめ、答え合わせがしたくなった。
僕の飯豊の沢への限りない憧れは、きっとここから始まっている。
会津朝日岳の雪稜に行った後の風呂で、飯豊に興味がありそうなゴリラに声をかけ、早いうちから予定を合わせた。無尽蔵の体力を持ち、そして泳ぎが得意なゴリラは、飯豊のパートナーとしては最高だ。飯豊の沢を見越して、今年は毎週のように沢に通った。7月のムサ沢と、8月の只見沢で、ある程度自らの仕上がり具合に確信を持つことができた。飯豊の尾根を歩きまくっているok2さんも参戦することになった。
ほんの少しだけ、秋の香りが鼻先を掠めるようになった。季節は移ろいでも決意は変わらず、飯豊の地にやってきた。
【8/23】
前日の夕方に只見のゴリラの家に向かい、深夜に飯豊山荘まで運転してそのまま車中泊。夜中に緊急地震速報がけたたましく鳴って叩き起された。6時前に起きるとok2さんがやってきた。
温泉平への林道を歩き、桧山沢に架かるダイグラ尾根の登山道の吊橋から入渓する。桧山沢と大又沢は1:1で出合っている。

気持ちを入れて出発する。しばらくはゴーロ歩きとなる。大又沢は飯豊の深い森の中に豊富な水量を湛え、ゆったりと流れている。ついに飯豊にやってきたのだ、という高揚感に包まれながらテンポよく歩く。

ゴーロ歩きと言えど、深い淵が出てきて、泳ぎやへつりを交える。幅の広いゴルジュ状になり、白濁した釜が眼前に現れると、そこが第一関門の人返しの淵だ。向かって水流右から泳ぎとへつりで難なく突破する。



人返しの淵を越えると平凡なゴーロとなり、左岸から休場ノ沢と出合う。豊富な水量と深緑色の森が飽きさせてくれない。沢の屈曲点の岩壁にキイロスズメバチの巣を発見。スズメバチポイントを過ぎるとゴルジュ状だが、ここは足が付く程度の水深だ。これを過ぎると15m程度の巨大な石柱が現れる。大又沢の「マラ岩」とでも呼ぶべきだろうか。とにかく出てくるもの全てがデカい。




マラ岩からすぐにゴルジュとなる。ここは水陸両用のゴリラが水流に飛び込んでフローティングロープを伸ばし、1ピッチで越える。

雰囲気の良い河原を歩く。深淵たる濃紺の淵はまさに「深い飯豊」だ。沢が屈曲すると、爆流の魚止滝10m滝が架かり、左岸の脆い岩壁からJOHSONリードで1ピッチで高巻く。




へつりを繰り返しながら進むと6m滝が架かる。左から空身とショルダーで突破することも考えたが、労力に見合わなそうだ。右岸に入る支流を登り、尾根を乗っ越して高巻く。


程なくしてゴルジュ状の3m滝で、これは爆流で厳しい。右岸からゴリラのリードでワンポイント悪いスラブトラバースで高巻く。のっぺりとしたスラブで、フォローも落ちられない。

3m滝からすぐの5m滝は右岸から簡単に巻ける。出トミズキ沢手前のゴルジュ状はゴリラが渾身の泳ぎで突破してくれた。


箱淵は右岸段丘から一気に高巻く。沢に降りると大きなツキノワグマと遭遇した。幸い向こうから逃げてくれてほっとする。

入りミズキ沢付近までをこの日の目標としていたが、100mほど手前に絶好の適地があり幕とする。懸念していたにわか雨にも振られず、ウェアを干しながらのんびりと焚き火を楽しんだ。飯豊の地で焚き火に酔いしれることができるなんて、なんて幸せなことだろう。ここにいる幸せに浸りながら仲間と語り合い、焚き火の前で気絶した。


【8/24】
出発して程なく入りミズキ沢の出合に至る。しばらく進むとデジャヴのような石柱が現れ、これを裏から回って乗っ越すのだが、のっぺりしたスラブで少し悪い。大岩沢まではゴーロに5m級の小滝が続き、へつりや泳ぎで取り付くが何れも登攀は容易だ。




大岩沢出合でグッと水量が減った。ようやく南会津の沢くらいの水量になった。飯豊の懐は大きいんだなあ。本社ノ沢出合までは小滝を交えた平凡なゴーロだ。


本社ノ沢出合を過ぎると側壁が立ってきて身構えるが、しばらくはゴロジュで、問題なく進める。沢の屈曲点に流麗な3段20m滝が架かる。左壁から容易なクライミングで登る。上部も流麗で、しばし目を奪われる。




深い釜の3m滝をショルダーで越えると再びしばらく平凡となる。このあたりは沢が開けて明るい渓相だ。空を見上げると、いつの間にか雲ひとつない夏の青空だ。8m滝には古のハーケンがあった。うちの会のパーティーだろうか、なんて妄想する。沢の屈曲点に架かる2段8m滝はゴリラが水線沿いを突破し、後続はユマールしつつ左壁を登った。水線沿いが悪そうに見えたのでゴリラにユマールを提案したのだが、どうやら簡単だったようだ。




程なくしてゴルジュとなり、入口の5m滝を容易に登ると4mCS滝で、左壁をへつって落ち口を強引に乗っ越す。その先のゴルジュには3mCS滝が架かる。まとめて右岸から高巻いた。




巨大なCSが挟まった10m滝を右岸に入るルンゼから高巻き、3段15m滝を容易に越えると御沢と御秘所沢の出合で、御秘所沢に入る。


小滝をいなし、行先に10m滝を望む三俣で幕とする。焚き火を興し、暮れゆく空をぼんやりと見上げる。麻婆茄子丼とざる蕎麦を平らげ、満腹感に包まれながらいつの間にか焚き火の前で眠っていた。肌寒い風で起こされると、満天の星空が広がっていた。



【8/25】
明るくなる周りに気が付いて起床する。寝ぼけ眼で見上げる晩夏の空はどこか寂しげだ。

出発してすぐの10m滝は落ち口が悪く、ゴリラをショルダーで上げ、後続にはお助け紐を出してもらう。


これを越えると癒しの渓相となり、お花畑に彩られながら天国への回廊が稜線へと伸びる。初日の爆流帯が嘘のような穏やかな沢だ。トリカブト、ダイモンジソウ、ミヤマキンバイ、ミヤマリンドウ…、たくさんのお花たちに歓迎される。アサギマダラがひらひらと漂い、まるで桃源郷のようだ。自然と足取りが弾む。






極楽のお花畑を愛でながら登ると、ついに主稜線の草原が眼前に現れた。振り返れば、カラマツソウが揺れる先に登ってきた大又沢が見渡せる。
堂々たる飯豊の流れを受け止めて、鶸色に光り輝く草原に立った時、何度だってこの地に戻ってこようと、そう決めたのだ。
飯豊の地は、今も昔も、きっと変わらない。



飯豊山の山頂で記念写真を撮り、ダイグラ尾根へ向かう。クッソ長い…。何より暑すぎる…。ゴロゴロと遠くで鳴っている雷鳴から逃げながらヘロヘロになって下山した。

駐車場で2人と握手し、「来年は桧山沢に行こう」と誓い合った。

南会津の山に登っているとき、飯豊の山は、どこにいても遠くで誇り高く聳える遥かな山だった。いつかその懐に辿り着いてみせようと、考えはすれど、ただ憧れ続けるだけの日々だった。
体力が必要な沢だった。それでも、技術的な問題に陥ることは無かった。丁寧に、目の前の地形に向き合うことを繰り返した。やることはいつもと変わらなかった。
憧れの飯豊。ようやくその懐に辿り着くことができた。これからもずっと、飯豊に憧れ続けていたい。
最後に、1959年に困難な飯豊の沢を遡行した祖父を含む東北大学山岳部パーティーに、心より敬意を表します。

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