2026/10/12(土)~14(月)
メンバー:Yurikamome、JOHSON
丸山岳。
「み・な・み・あ・い・づ」と声に出しただけで夢中になってしまうような山ヤであれば、誰もがこの山の頂に憧憬の眼差しを向けるはずだ。
丸山岳を司る、南会津随一の険谷・大幽西ノ沢。
優しい表情の裏に深き懐を隠す、南会津の深淵。最果ての楽園へと登り詰める水筋は果てなき浪漫を孕み、あまりにも濃密な物語を予感させる。トチとサワグルミの豊かな森を抜け、南会津の核心へと導かれる深き回廊。絶対に行きたい渓谷が、そこにある。
僕は南会津という山域を愛してやまない。
ブナの大木がどこまでも林立する嫋やかな森林の奥底には、偏屈な山ヤが人生を賭して追い求め続ける、途方もない大いなる自由が眠っている。
その南会津の核心たる、大幽西ノ沢からの丸山岳。この憧憬の水脈は、計画する度に悪天候や身体のコンディションに阻まれ続けてきた。僕にとって、それはあまりにも重く、どうしても果たさなければならない積年の課題だ。
今年こそは、何としても、この足でやり遂げなければならない。
行くぞ、丸山岳へ。
このシーズンのクライマックスにふさわしい、泥と汗にまみれた、最後の沢旅が始まる。
【10/10】
只見のゴリラの家に前泊させてもらい、朝食を頂いてから小幽沢の車止めへ向かう。林道をしばらく歩いて黒谷川本流へと降り立ち、「黒谷の青い門」からいよいよ大幽沢へ入渓する。さすがに10月の水は芯まで冷たい。

大幽西ノ沢と東ノ沢の出合付近、段丘に立つミズナラの巨木に立派な舞茸が生えているのを発見。少々際どい足場だったが、何とか収穫に成功する。



大幽西ノ沢は、黒河原沢の出合までは特に目立った難所はない。水の中に足を踏み入れる度に、魚影が四方八方に飛び交う。黒河原沢出合のすぐ先にある2m滝を際どいへつりで越え、続く6m、5m滝を水に浸かりながら直登していく。深く静かな森の廊下がどこまでも続く。釜は深く、胸あたりまで冷水に浸かって取り付くため身が縮こまる。







朝日沢を見送ると渓相は多少落ち着きを見せ始め、少し進んだ河原で幕とする。朝に収穫した舞茸をホイル焼きにすると、なんとも香り高く、文句なしの絶品だった。夜はいつも通り、2人して焚き火の前で吸い込まれるように気絶した。


【10/11】
朝7時、行動開始。今日は丸山岳を越えたい。
すぐに6m滝が現れるが、朝イチのシャワーを嫌って右岸から高巻く。続く2条CS7m滝を左岸から高巻くと途端に魚影が消え去った。どうやらこの滝が魚止めのようだ。





現れる小滝を登ったり小さく巻いたりしながらいなす。2段15m滝は左岸の尾根を乗越して巻くが、想像以上に上まで追い詰められた。最後は傾斜の強い斜面を灌木をつないで沢筋へと復帰した。
さらに続く6m滝に取り付いてみるものの、スタンスが悪く難儀する。右岸支流の側壁から小さく巻けそうに見えたため早々にとりついたが、実際は傾斜の強い悪質な泥壁が続いており、灌木を頼りに上へ上へと逃げざるを得ない。岩盤の発達や急峻なルンゼの存在も手伝い、かなり大きく巻き上げられてしまう。結局、はるか先に見える樹林帯の尾根状までトラバースをかけ、尾根を下降して最後は懸垂下降で沢へと戻った。空荷での突破やエイドの駆使、あるいは左岸の急峻なルンゼを探るべきだったかもしれない。この2つの高巻きで、大幅な時間ロスを余儀なくされてしまった。
この先も小滝が絶え間なく続くが、Yurikamomeを肩絡みで引き上げつつ、ひとつひとつフリーで越えていく。やがて地形が開け、丸山朝日沢の出合へと到着した。いい時間になってしまったため、ここで本日の幕とする。



台地にタープを張り、河原で焚き火を熾す。ゆりかもめ食堂が開店し、ニョッキ(じゃがいも餅)入りのトマト鍋が体に染み渡る。今夜も例によって、焚き火の温もりのなかで気絶するように眠りについた。

【10/12】
長丁場になるのは必至のため、日の出とともに幕営地を発つ。丸山朝日沢に入ると、延々と小滝が連続する。いくつか巻いた滝もあったが、おおよそは直登可能だ。例によってYurikamomeを肩絡みで引き上げつつ、フリーでテンポよく越えていく。


小滝の登攀に少々飽きてきた頃、ようやく両岸の押し出しが低くなり、傾斜が緩んで草原状になってくる。沢はいよいよ源頭の装いを見せ始める。忠実に沢筋を詰め切ることはせず、適当な斜面を拾って詰め上がると、そのまま丸山岳の頂へとダイレクトに躍り出た。

眼前に広がっていたのは、どこまでも穏やかで優しい秋の草原だった。 山頂には、ぽつりと2つの池塘が静かに空を映している。なんて穏やかで、美しい場所なのだろう。黄金色に染まった草原に、たったふたりで佇む。脇腹を抜ける肌寒い風さえも、なぜだかどこか暖かい。ここには何もない。記号なき至高の頂だ。
ようやく、無雪期の丸山岳に立つことができたのだ。大幽西ノ沢という過酷な険谷を越え、最後は風に揺れる錦秋の草原に抱かれる…そんな浪漫あふれるストーリーも相まって、ただただ深い感動に包み込まれていた。





しかし、感傷に浸っている時間はない。名残惜しさを振り払い、すぐさま下山にかかる。下降に使う大幽東ノ沢に目立った難所はない。1046の二俣まで下ってしまえば、そこから先は昨年も下降に使った勝手知ったる流れだ。サブウリのゴルジュを難なく高巻き、念のため懸垂下降で沢床へ復帰。西ノ沢との出合に着く頃には、あたりはすっかり夜の闇に包まれていた。


出合からすぐのゴルジュ状を、Yurikamomeをサポートしながら慎重に渡渉。あとは真っ暗闇の河原を黙々と歩いていく。危険箇所がないと頭では理解していても、暗闇の中に大幽沢出合の「青い門」が浮かび上がった瞬間は、心の底からホッと胸を撫でおろした。
無事に駐車地点まで戻り、車を走らせてスマホの電波が入る場所からゴリラに連絡を入れる。案の定、かなり心配をかけてしまっていたようだ。心からの申し訳なさと、無事にやり切った安堵感が同時に押し寄せてきた。

春、南会津の主脈を縦走し、初めて丸山岳の頂に立った。
その際、今までの記録には無かった山頂標識が設置されていることを確認し、標識に対する所感をヤマレコの日記に記したところ、それなりの反響があった。
あれから半年の時が過ぎた。僕は再び丸山岳の頂に流れ着いた。
僕が嫌悪しているのは、山頂標識そのものの物理的存在ではない。標識が纏っている「大衆化」「効率化」「意味の過剰供給」という記号的ノイズである。
近代以降、登山は道の整備や標識の設置によって大衆化し、安全性や利便性を獲得し、発展を遂げてきた。しかし、それらは同時に、山の持つ未知性や不確実性の剥奪でもある。南会津という、日本において数少ない「地図と自己の技量のみで対峙すべき聖域」にまで、その同質化の波が押し寄せたことに対する絶望感は、確かに封建的な感性ではあるが、人間の痕跡や記号的価値に汚されていない山の純粋性を守り、自然と人間の間に緊張感ある関係性を取り戻そうとする、極めてラディカルな感性であるはずだ。
利便性と承認欲求が人々の感性を覆い尽くす現代社会において、あえて「ただ山と共にあることの純粋さ」を希求する営みの意味を問い直したい。
「マイナー12名山」「会津百名山」という言葉に代表されるように、現代の山はしばしばコレクションの対象や、SNSのステータスとして消費される。大衆社会は、自らが消費する対象の文脈や神聖さを理解する余裕を持たず、ただ「ここに登った」という記号だけを持ち帰ろうとする。丸山岳の頂にあった標識は、まさに現代人の消費の残骸として視覚化されていた。
本来、南会津の森の奥深さや、大幽西ノ沢のような沢筋の厳しさは、その地を愛する個々の山ヤが、孤独な探求心をもって切り開いてきたもののはずだ。僕が愛する南会津の山々は、大衆化のシステムから意図的に外れた場所、あるいは、地図と自らの技量だけで切り結ぶことでしか成立しない、最後のフロンティアであるはずだと信じていた。そこに誰かが私的に打ち立てた標識は、単なるプラスチックや木の板ではない。それは「俺はここに登ったぞ」という他者の承認欲求であり、空間の私物化にほかならない。
人間が本来持っているべき「自然に対する畏敬の念」と「己の感覚を信じ抜く強さ」を思い出してほしい。ただ地形があり、風が吹き、自分が生き物として存在しているという事実だけが残る「記号なき場所」で、いかに誠実であるか、という極限の孤独こそが、自己と自然、あるいは自己と向き合うための倫理的な背骨を形作る。
山ヤにとって、山とは征服すべき相手でも、コレクションの対象でも、自分の存在を誇示する舞台でもない。ただ其処に在り、自分もまたその一部として一時的に漂うだけの場所なのだと、僕はそう信じている。
僕は、記号という名の衣服を脱ぎ捨て、肉体と感性だけでこの世界と対峙できることの価値を理解できる、偏屈な山ヤであり続けたい。
長々と綴ってしまったが、僕が言いたいのはこれだけだ。
この山に記号は要らない。山だけがそこにあればいい。


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