越後 水無川 オツルミズ沢

山行記録

2026/10/17(土)-18(日)
メンバー:田中、JOHSON

オツルミズ沢。

日本屈指の豪雪地帯・越後駒ヶ岳が誇る、日本の沢登りのフラッグシップ。圧倒的なスケールの大滝群が天を突き、踏み込んだ者を容赦なく呑み込むその渓は、いつの時代も沢ヤの心を狂わせてきた。

​僕は確かに偏屈な山ヤだ。少しでも他人と違う発想で山をやりたい僻んだ野郎だ。それでも、オツルミズは特別だ。沢ヤであるならば、この憧憬の渓谷に焦がれるのは、ごく自然な衝動なのだ。

​もちろん、オツルミズ沢の存在も、奮闘的な記録の数々も、とうの昔から頭の中には叩き込まれていた。だが、この沢を「己が登るべき対象」として明確に突きつけられた瞬間を思い返せば、それはまだ寒さ厳しい1月、会津山岳会の総会へ見学に足を運んだあの日だった。

今年度の集中山行を越後駒ヶ岳で行う——。

その計画を耳にした時、まだ入会すらしていない一介の自惚れ屋に過ぎなかった僕の胸の奥で、根拠のない強い確信が静かに芽生えていた。

「たぶん俺が、オツルミズを登ることになるんだろうな」

誰に伝えるでもなく、その時、僕のなかで腹が決まった。今年の秋、沢シーズンのフィナーレを飾るラストステージは、オツルミズ沢以外にあり得ないのだと。

だが、いつの間にか集中山行は湯檜曽川周辺へと変更され、気づけば僕は空白のカレンダーの中へぽつんと放り出されていた。

どうやら、僕は頭のてっぺんから足のつま先まで、圧倒的な大滝群の幻影に取り憑かれていたらしい。 他のどの渓も色あせて見えるほどに、僕の渇きはあの珠玉の渓谷だけを求めていた。ならば行くしかない。この渇きを癒すには、あの途方もない岩と水の回廊に身を投じる以外に道はなかった。

しかし、オツルミズは単独で戦えるほど甘い沢ではない。パートナーが必要だった。それもただのパートナーではない。それなりに登れて、なおかつ肝の据わった度胸のある奴……。

ふと、ひとり異様に暇そうな男の顔が頭に浮かんだ。それが田中くんだった。

彼は僕の出身であり、僕自身がコーチを務めている上智大学ワンダーフォーゲル部をあっさりと退部し、G登攀クラブの若きホープとして一途にクライミングへと没頭していた。正月には飯豊の大日岳水晶尾根へと挑み、2月には裏銀座縦走をやり切り、夏には3週間近く穂高に籠もって継続登攀に明け暮れ、つい先日もジャンダルムのボロい壁を18時間行動で登り切っていた。山を愛しすぎるあまり、大学の単位を盛大に落とした最高に面白いヤツだ。

そんな彼に声をかけてみると、「オツルミズ行くか!」と二つ返事で快諾してくれた。最高にノリが良い。

コーチという立場でありながら退部した元部員と山へ行けば、部の大御所たちからやいやいと小言を喰らいそうではあるが、これほど面白く頼もしい奴を放っておく手はない。
こうして心強いパートナーが決まり、決戦への舞台装置はすべて整った。

さあ行こう、オツルミズへ。越後駒ヶ岳の心臓部へと突き上げる、白銀の回廊の核心へ。

【10/17】
未明の闇のなか、水無川沿いの静まり返った林道を歩き始める。パリッとした秋の早朝の肌寒い空気が、緊張感で引き締めた情緒を刺激して、身も心も強張らせる。それでも気合いを入れて、歩みを進める。程なくして、暗がりの中にオツルミズ沢の出合が浮かび上がった。 カグラ滝の基部へと至る巻き道へ入る。テープを拾いながら進むものの、途中で尾根へと続くラインに引き込まれてしまい、30分ほど時間を削られた。

未明のオツルミズ沢出合

カグラ滝の基部に辿り着いた。カグラ滝は、記録で見た印象よりはどこか静かな佇まいを見せていた。田中くんと僕で交互にリードする。2ピッチでこの大きな滝を右壁から越えていく。

カグラ滝
でかい!
右壁を登る
カグラ滝登攀中

カグラ滝を抜けた直後、冷水に身を投げ打つひと泳ぎを強いる滝が現れた。身を切るような冷たさに発狂の声を上げながら、必死に取り付いて登り切る。寒さが骨の奥まで刺さる。寒すぎる。

カグラ滝の上

下部ゴルジュへと近づくにつれ、遥か彼方の視界の奥にサナギ滝の影が姿を現した。 あまりにも大きすぎる。圧巻という言葉はこの沢のためにある。ただただ、その圧倒的なスケール感に二人で言葉にならない叫び声をあげた。 「奥多摩の500倍はある」と田中くんが言う。そりゃそうだ、ここはオツルミズだ。

圧巻

下部ゴルジュは右岸から大きく高巻く。藪の中に途中まで踏み跡が続いており、高度感による恐怖はない。しかし、ふと足元に目をやると、木々の隙間から延々と連なる滝の白い水線が遥か下方に落ち込んでいた。

下部ゴルジュ入口
ゴルジュは滝が続く

サナギ滝の基部に立つ。目の前を覆い尽くす大迫力に、ただただ息を飲む。記念撮影を済ませ、右岸のスラブ状の岩壁へ取り付いた。記録通りに難易度自体はⅢ級を超えず、決して落ちるような登りではない。だが、ひとたび足を踏み外せば一瞬で死が確定する世界。ロープを出していては時間切れになるので、フリーで一歩一歩慎重に高度を上げていく。

「落つる水」
サナギ滝
記念撮影
フリーで登っていく

核心となる上部のクラックに到達。ここはクライマーの田中くんに託す。1ピッチで越える。ワイドクラックの経験があれば難なくこなせるⅣ+程度のグレードとはいえ、この高度感の中でリードを張る緊張感は想像に難くない。見事なリードだった。

クライマー・田中くんにロープを託す
ナイスリード!

間髪入れず、上部ゴルジュへと突入する。入口の隙間は驚くほど狭い。冷気と閉塞感が圧迫してくるが、岩の弱点が美しく繋がっており、奇観を楽しみながら労せず抜け出すことができた。その先にも次々と滝が立ちはだかるが、いずれも直登か、小さく高巻くことでいなしていく。

ゴルジュの中へ
結構楽しい
錦秋のオツルミズ

そしてついに、80mの大滝がその全貌を現した。壮観だ。 左壁からのアプローチを試みるが、途中で悪いトラバースにぶち当たり、足が止まる。どうしても一歩を踏み出せず、来たトラバースラインを引き返した。ここで1時間ほどのロス。懸垂1ピッチで2段の滝のテラスに立ち、左壁を途中までフリーで登った後、1ピッチロープを伸ばし、水流を横断して右岸から落ち口へと抜けるラインをとった。

80m大滝
落ち口

80m大滝を越えると、渓相は一転して穏やかになる。 そこには一見楽園のような佇まいが広がっていたが、小難しい小滝は絶え間なく続き、越後特有の泥と草付きの高巻きを強いられる。崩壊した雪渓が沢を埋め尽くすポイントは、右岸の草付きから大きく高巻いてトラバースした。沢に復帰して、ラストスパートだと主張するように畳みかける小滝をひとつずつ淡々と処理していく。

滝は続く
雪渓を高巻く

最後の二俣に到達した頃、世界は静かに日没を迎えた。 だが、もう何もないだろう。ヘッドランプを出し、源頭部をひたすら詰め上がっていく。稜線に近づくにつれ強くなっていく寒風に身体を震わせながら、転がるように駒の小屋へ雪崩れ込んだ。寒さに震えるのみで感慨を感じる余裕はないが、やり切ったことだけはわかった。 田中くんと渾身の握手を交わす。

穏やかだが、あまりにも寒い

バーナーを焚き、行動食を口に放り込んで冷え切った身体を少しずつ温め、夜の下山へと取り掛かる。歩き始めてすぐ、田中くんの足が止まった。「脚が全部攣ってしまって、無理です。」と田中くんが静かに告げた。実を言えば、僕自身も寒さで疲弊し切っていた。胸の奥でホッと安堵の息が漏れた。再び小屋の中へと戻り、田中くんともう一度、渾身の握手を交わすと、僕らは泥のように一瞬で深い眠りへと落ちていった。

【10/18】
田中くんは今夜から、まさかの0泊ワンデイ八ヶ岳全山縦走に向かうという。コイツは体力もモチベーションもイカれている。そんな彼に合わせて、深夜と言っていいほどの早朝に小屋を発った。

丑三つ時の山頂
全然夜じゃねえかよ

極楽尾根は、その名を付けた何者かにブチギレたくなるほどの激下りだったが、ふと思い出してチェーンスパイクを装着すると安定した。気付けば空は藍色に明るみはじめ、展望の良い場所で立ち止まって一息入れると、朝焼けに染まる八海山がぼんやりと朱色に輝いていた。

八海山の夜明け

駐車場へと戻り、田中くんと三度、渾身の握手を交わす。車を動かし、六日町の街に出る。朝陽が世界を眩しく映し出し、どこまでも突き抜けるような、爽やかな秋の朝に包まれた。

やり切ったな!

オツルミズ沢を登り詰めたその瞬間は、痺れるような寒さの前に感慨も何もあったものではなかった。しかし、無事に家に辿り着き、静かな部屋で身体を休めていると、あのオツルミズ沢を完登したのだという実感が、胸の奥からじわじわと込み上げてきた。

同時に、今シーズンを駆け抜けた記憶が、熱を帯びて蘇ってくる。

薮に塗れ、雪国の沢の洗礼を受けたミカグラ、先人への憧憬と歴史の継承を噛みしめた大又沢、己の自惚れと葛藤の果てに味わった滑落の恐怖、身を切る寒さに震えながらどこまでも浸りきった御西沢、そして数々のドラマの末に辿り着いた至高の丸山岳…。

渓の中で噛みしめた数々の絶望も歓喜も、その全てが、まさにこのオツルミズの瞬間に繋がっていたのだと思えてならない。 確かにそれは、一歩間違えれば叩き落とされるような大きな背伸びだったのかもしれない。だが、あの圧倒的な大渓谷を登り切り、いまこうして生きているという厳然たる事実がある以上、僕の実力は確かにオツルミズに届いていたのだ。

即席で組んだ田中くんとのタッグも、思い返せば見事な役割分担ができる良いタッグだったように思う。 核心となる登攀パートはクライマーである彼が強靭に切り拓き、悪い高巻きのライン取りや複雑な地形判断は、雪国の沢に幾らかの造詣を持つ僕が舵を取った。とりわけ高度感に呑まれそうな登攀の局面で、果敢にロープを牽引してくれた彼には感謝の言葉しかない。

初めて踏み込んだ越後の沢は、何もかもが素晴らしく、そして圧倒的だった。

眼前に立ちはだかる圧巻の大滝群は、まさに「落つる水」そのものの威容を誇っていた。純粋な登攀力、高巻きの地形の判断力、そして全ての礎となる精神力…沢登りを構成する全ての要素が、あの巨大な劇場のなかに高密度で凝縮されていた。

​今シーズンの集大成。​越後の渓を全く知らない僕ら2人が、持てる全ての力をぶつけてオツルミズと対峙した圧倒的な1日。この日味わった興奮と痺れるような感覚は、きっと生涯忘れることはないだろう。

​越後最高! オツルミズ最高!⁡

山行記録: 越後 水無川 オツルミズ沢
2026年10月17日(2日間) 甲信越, 沢登り / kmmrno1kamiの山行記録

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